Ⅰ 房総半島エリアの立地特性とリゾート環境
房総半島エリアの地形・自然環境と生活圏特性
★房総半島エリアの地形と自然環境の特性
【房総半島全体の自然環境と立地】
房総半島が面積の大半を占める千葉県は、平野と丘陵が占めており、海抜500メートル以上の山地がない点で日本で唯一の都道府県です。
地勢上、広大な居住可能エリアを擁し、県の東側 (外房) には太平洋と接する長大な海岸線が開けている点が大きな特徴です。
都道府県人口・都道府県人口密度・都道府県昼間人口はいずれも全国6位。東京都にも隣接しているため、日本の経済や産業の一翼を担っています。
一方では、地勢を生かした農漁業も盛んに行われており、千葉県は全国で有数の農業産出額、漁業総生産量を誇ります。
たとえば、外房の和田漁港 (南房総市) では、日本に4か所ある捕鯨基地の一つとして、歴史ある捕鯨が行われています。
◇房総半島の気候風土とリゾート環境
房総半島全体は、内陸部の平均標高も低いため、全体的には年間を通して温暖な気候に恵まれています (なお一部の内陸部では冬に厳しい寒さを迎えるエリアもあります)。
右に掲げた「房総半島のランドサット衛星写真」 (スペースシャトルの標高データを使用) によると、房総半島全体の地勢がはっきりと見てとれます。明らかな平野部は内房と外房の一部 (いずれも北部の茶色に見えるエリア) だけですが、大半を占める緑色の部分が標高500メートル未満のなだらかな丘陵地帯で構成されていることもわかります。
房総半島全体に都市と自然がうまく調和しているエリアが形成されており、リゾートにも適した地域環境ともいえます。
こうした地形と天候との関係を見たのが、右の「年間雨温図」です (気象庁勝浦観測所のデータより)。
▽気温
暑さの指標として、年間の最高気温が30℃を超える日数の平年値を見ると、海の影響を受けやすい銚子や勝浦で11日~13日に対し、その他の地域では30日を超える所が多くなっています。また、寒さの指標として、最低気温0℃未満の日数の平年値を見ると、海に面していない内陸部で60日を超えているのに対して、 千葉、銚子、勝浦などの沿岸部では10日前後と少なくなっています。
▽降水量
南部では他の地域に比べて降水量が多く、特に夷隅郡大多喜町(南部丘陵地域)付近を中心とした比較的狭い範囲で強い雨が多く降ります。年間における日雨量が50mm以上の日数の平年値は、南部で7日を超える地点が多いのに対して、北部では4~6日程度です。年間降水量の平年値を見ると、北部で1,400~1,600mm程度であるのに対し、南部では2,000mmを超える所があり、最も多いのは大多喜町の2,236.9mmとなっています。(※銚子地方気象台の解説より)
「海岸沿いと半島内陸部のリゾート環境」
こうした自然環境と天候を背景に、房総半島特有のリゾート環境が見られます。
太平洋の雄大な海と、白い砂浜が続く外房の海岸エリアでは、夏になると海水浴やサーフィンなどを楽しむ人々で賑わいます (→ページ冒頭写真を参照)。
外房の北側に位置する銚子港沖では、5,000頭ものイルカの群れが見られ、秋には何十頭ものマッコウクジラに出会えることもあります。
東京湾に面する館山湾 (内房) ではサンゴ礁が見られ、美しい魚たちの姿を、海中観光船やダイビングで楽しむことができます。
これに対し、半島内陸部では丘陵地帯特有の自然景観を楽しむことができます。君津市にある鹿野山 (かのうざん=標高379メートル) の九十九谷 (くじゅうくたに) 展望公園から見下ろす光景は、房総丘陵で有数の眺望を誇ります。空気の澄んだ秋から冬にかけては雲海を連想させる霧が多量に発生し、墨絵のような幻想的風景に魅了されます。
◇房総半島へのアクセス
自然溢れる房総半島は都心から約100km圏内にあり、“都心から近いリゾート地・別荘地” として人気を集めています。
ちなみに、こうした人気を裏付ける調査データもあります。「住宅・土地統計調査」(5年ごとに実施=総務省統計局まとめ) の平成25年調査結果 (最新版) によれば、「平成23年~25年9月」に建築された新しい住宅の割合でみると、千葉県は都道府県別で第4位 (5.0%の割合) で、栃木県と同率になっています (第1位は宮城県の5.8%)。
このデータは、最近になって居住用住宅 (一戸建て・マンションなど共同住宅とも) が建築された割合が全国の場合と比べても高いことを示すもので、千葉県ではほぼ20軒に1軒がこの期間において新築されたことになります。
■地域編1/ 南房総エリアの立地環境
◎対象リゾート地/ 南房総市 (内房・外房・内陸部とも)、館山市 (内房と南西部の太平洋に面する立地)、鴨川市 (外房地区と内陸部)、安房郡鋸南町 (内房)
■ 南房総市の立地環境
南房総市は、千葉県の房総半島最南端に位置しています。
西側で内房の東京湾に、東側は外房の海岸線で太平洋に面しており、内房・外房の両方の景観と居住環境を楽しめる独自の形状 (館山市の北・東・南の三方を取り囲む形状) をしています (→ページ冒頭の「房総半島のリゾートエリアマップ」参照)。
ちなみに南房総市は、安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町の6町1村が平成18年3月20日に合併し誕生した新しい市です。
房総半島の南端に位置し、北側には県下最高峰の愛宕山 (408m) をはじめ、南総里見八犬伝の舞台となった富山 (349m) など300m以上の山が連なっています。
また、首都東京から100km圏に位置し、所要時間も約95分。千葉市までは約70分の時間距離にあります。平成9年に開通した「東京湾アクアライン」、平成16年に開通した「一般国道127号富津館山道路」に続き、「東関東自動車道館山線」が平成19年7月4日に全面開通し、東京圏からのアクセスも格段に良くなっています (※参照/ 南房総市の観光ポータルサイト『南房総いいとこどり』より)。
同市の景観では、内房に面した岩井地区や富浦地区からは、波の彼方に霊峰富士を望むことができます (末尾写真を参照)。
一方、外房に面した和田漁港では、日本全国でわずか4ヵ所しかない捕鯨基地の一つとして、歴史ある捕鯨を大切に守ってきています。毎年6月末〜8月末にかけて26頭の「ツチ鯨」が水揚げされ、”くじらの解体” 作業を目の当たりで見ることができます (末尾写真を参照)。
同じく外房に面した市の東側は、太平洋の暖流により温暖な気候であり、肥沃な耕地にも恵まれています。
また東(外房)・西 (内房)の海岸沿いだけでなく、両岸から地続きの内陸部も観光レジャースポットが多く点在しています。
ちなみに同市は、”国内最多タイの8つの「道の駅」を誇る” 観光スポットを有しています (上掲の南房総市「道の駅」マップを参照)。その同市のキャッチフレーズは、”花と緑いっぱい、癒しの半島”、”海の幸・山の幸・自然体験を満喫できる道の駅スポット” というもの。
道の駅のひとつ、内陸部にある「ローズマリー公園」 (末尾写真を参照) は、ノット式の庭園にハーブや四季の花々が咲き乱れ、とりわけカップルに人気のスポットとなっています。
海側・山側の計8つの道の駅がそれぞれ独自に自然や人と触れ合える個性的な見どころ・味わいどころを提供している点も、南房総市の地域特色といえるでしょう。
■ 館山市の立地環境
館山市の気候・風土
◎館山市の気候
館山市は、房総半島の南部 (東京湾の外海・内房) に位置します。年間平均気温16度C以上と、1年を通して温暖な気候に恵まれる “海と花の町” (館山市のキャッチフレーズ) です。
それを物語るように「JR館山駅」は、橙色の屋根にクリーム色の外壁という建築デザインで、その駅前広場にはヤシの並木が立ち並び、南国情緒を漂わせます。1月にはポピーやストック、菜の花が咲き誇り、花畑が満開になる “花の町” です。
また、”34.3キロにわたる海岸線” を持ち、スキューバダイビングをはじめとしたマリンスポーツや夏の海水浴の好適地です。さらには、サンゴやウミホタルの生息域として、多様性に満ちた貴重な海洋資源を有する「海の町」でもあります。
◎館山市の風土
緑豊かな館山市は、「県立館山野鳥の森」が “森林浴の森100選”に、「平砂浦海岸」付近は “白砂青松百選” と “日本の道100選” にも選ばれています。
ちなみに中世の頃には、戦国武将里見氏がこの地を治めていました。曲亭馬琴作の「南総里見八犬伝」の舞台になったこの地には、今でも里見氏の史跡の数々や八犬伝のロマンが香る史跡が残された歴史のある町でもあります。
◎館山市の自然景観と観光
自然景観としては、内房の館山湾で、とりわけ美しいサンゴ礁が見られます。美しい魚たちの姿を海中観光船で楽しむことができます (※この辺り一帯はサンゴの北限ともいわれます)。夏には館山海岸の海水浴場と並び、マリンスポーツが盛んで、サンゴ礁を間近で観賞できるダイビングスポットとしても有名です。
市の西側に位置する内房の館山湾は波静かな海面で、別名「鏡ケ浦」とも呼ばれます。なかでも北条海岸からは “ダイヤモンド富士” と形容されるように見事で荘厳な雄姿が間近に見られます。
そして海岸線を走る道路は格好のドライブルートになっており、館山から南房総市の和田浦まで続く「房総フラワーライン」の沿道には、花々とともにヤシの木が立ち並び、”南国ムード” あふれる景観が楽しめます。沿道の「ポピーの里 館山ファミリーパーク」では、春まだ早い時期にポピーやストック、菜の花が咲き乱れ、季節ごとの美しい花々で訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
館山市へのアクセス
◎車利用の場合
東京・千葉→(東関東道・京葉道路)→宮野木JCT→(館山道・富津館山道路)→富浦IC→館山
東京・横浜→(アクアライン)→海ほたる→木更津JCT→(館山道・富津館山道路)→富浦IC→館山
●所要時間:
▼東京⇔館山 約80分(東京湾アクアライン利用)
▼横浜市⇔館山 約80分(東京湾アクアライン利用)
▼千葉市⇔館山 約70分
◎高速バス利用の場合
東京⇔館山「房総なのはな号」/ 新宿⇔館山「新宿なのはな号」/ 千葉⇔館山「南総里見号」/ 横浜・羽田空港⇔館山線
※房総なのはな号 (東京発)料金/ 大人片道:2,500円(子ども片道:1,250円)
◎鉄道利用の場合 (JR)
▼総武快速線経由『特別快速』運行時刻 平日のみ
(下り) 8:02[東京発] ⇒ 10:10[館山着](所要時間128分)
(上り) 17:07[館山発] ⇒ 19:15[東京着](所要時間同上)
▼特急列車『新宿さざなみ』運行時刻 土曜休日運転
(下り) 7:50[新宿発] ⇒ 10:02[館山着](所要時間132分)
9:08[新宿発] ⇒ 11:16[館山着](所要時間128分)
(上り) 13:14[館山発] ⇒ 15:23[新宿着](所要時間129分)
16:03[館山発] ⇒ 18:07[新宿着](所要時間124分)
(※2015年3月15日時点)
■ 鴨川市の立地環境
鴨川市の地理特性と交通環境
鴨川市は、平成17年2月11日に、旧鴨川市と旧天津小湊町の合併により誕生しました。県庁所在地である千葉市からは南に約70㎞、東京都心からは100km圏内という立地です。
地理面では、広い市域の中央部を鴨川地区、東部を天津小湊地区、南部を江見地区、平地が東西に開けた西側の内陸部を長狭地区と呼称しています。
交通環境面では、太平洋沿岸部 (外房) を走る国道128号、内陸部ではほぼ加茂川に沿って保田IC方面(安房郡鋸南町)へと東西方向に接続する長狭街道、千葉方面へと市を南北に縦貫する久留里街道が幹線道路として開けています。なお、東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短 (約85km) になります。
冒頭の千葉県市町マップでもわかる通り、鴨川市は東西に長い市域を有し、4市2町と接しています [北西:富津市、北:君津市、北東:夷隅郡(いすみぐん)大多喜町(おおたきまち)、西:安房郡(あわぐん)鋸南町、東:勝浦市、南西:南房総市と隣接。南および南東側は太平洋に面した外房海岸地帯]。
▽人口:35,658人 (平成20年9月1日現在)/ ▽面積:191.30平方キロメートル/ ▽南北:18.00km/ ▽東西:26.02km/ ▽最高地:408.2メートル (愛宕山:頂上は南房総市)/ ▽最低地:0メートル (海抜)
鴨川市の自然環境と観光
◎鴨川市の自然環境
同市は、「自然と歴史を活かした観光・交流都市」を将来像に、市のコンセプトを “郷海(さとうみ)・郷山(さとやま)・人に出逢うまち、鴨川” と設定し、南房総の中核都市として更なる発展を目指しているところです。
房総半島の南東部に位置する同市の東側は、太平洋 (外房) に面しており、美しい海岸線が続きます。黒潮の流れの影響から温暖な気候に恵まれ、海岸線から西に開ける平野部・低地部と、その南北にある丘陵地帯とあわせ、市全体がのどかで豊かな自然環境にも恵まれています (右上の衛星写真参照)。
◎鴨川市の観光特色
鴨川市において就業人口が多いのは旅館、ホテルを含めた「観光サービス業」 (第3次産業)です。
鴨川地区 (鴨川・田原・西条・東条) には、「鴨川シーワールド」 (鴨川市東町) を主として観光地や施設、市街地が集中しているため、地区内を走る国道128号鴨川バイパスでは、観光シーズンともなれば渋滞に遭遇するのも珍しくありません。
特に夏場には、複数の海水浴場が一斉に賑わいます (前原・横渚海岸=前原海水浴場、太海海水浴場、江見海水浴場、城崎海水浴場、内浦第一・第二海水浴場)。
その中の一つ、ゆるやかな美しい弧を描く「前原・横渚海岸」 (鴨川市横渚=写真右上参照) は、『日本の渚百選』に選定されており、海岸線に沿って植えられたヤシの木が南国ムードを醸しだしています。
その前原・横渚海岸の渚を一望できる「魚見塚展望台」(鴨川市貝渚:魚見塚一戦場公園内=写真右下参照) からの360度パノラマビューはまさに絶景です! (女神像「暁風」をシンボルとして、嶺岡山系東端の海抜約110m地点に位置し、前原海岸や鴨川松島、仁右衛門島など三方に開けており、どこまでも続く大海原や鴨川の街並みが一望でき、水平線から昇る朝日や夕暮れ時、夜景の美しさは格別です)
鴨川シーワールドや、「鯛の浦」(=妙の浦。国指定特別天然記念物「鯛の浦タイ生息地」:鴨川市小湊) を始め、江見地区 (江見・太海・曽呂) の「仁右衛門島」(にえもんじま:南房総の海にぽっかりと浮かぶ約3万平方メートルの “島” =千葉県指定名勝。『新日本百景』の地にも選ばれた) や、「太海 (ふとみ) フラワー磯釣りセンター」(鴨川市太海浜:子供もおとなも楽しめる花・動物・海の楽園)、「道の駅 鴨川オーシャンパーク」 (鴨川市江見太夫崎:ドライブ中の休憩、旅の拠点に最適な太平洋に臨む道の駅。扇形ピラミッド型の建物がユニーク)といった観光施設も人気があります。
◎鴨川市の自然風土
鴨川市は豊かな自然環境を活かした観光資源を数多く有しています。長狭地区には、『日本の棚田百選』に県内から唯一選ばれた「鴨川大山千枚田」 [おおやませんまいだ/鴨川市平塚:2002 (平成14) 年千葉県指定名勝に選定/ 市南西部の嶺岡の山並みのふもとの広さ約3ヘクタールの急傾斜地に、東西600mにわたって階段のように連なる大小375枚の田んぼ。東京から一番近い棚田) は特に有名です。
歴史・史跡に関しては、日蓮聖人ゆかりの神社・仏閣など豊かな歴史を誇るまちでもあります。天津小湊地区 (天津・小湊) の北部は丘陵地帯であり、清澄山 (きよすみやま) を抱え、日蓮聖人ゆかりの清澄寺 (せいちょうじ)、小湊には誕生寺 (たんじょうじ) といった名所が立地しています。
ちなみに、夏場を含めた鴨川市の観光入込数は年間440万人 (平成19年度) と県内でも有数の集客力を誇ります。
◎鴨川市の観光以外の産業
鴨川市はその立地特性を背景に農業も盛んです。長狭地区 (吉尾・主基・大山) は、米どころの長狭平野が東西に広がり、山に囲まれ、田畑が広がります。また鴨川市は花作りでも定評があります。
太平洋沿岸部では漁業が盛んであり、多くの漁港があります。[鴨川漁港/ 太海 (ふとみ) 漁港/ 浜波太漁港/ 天面漁港/ 太夫崎漁港/ 江見漁港/ 小湊漁港/ 天津漁港/ 浜荻漁港]
このように鴨川市では今後、豊かな自然環境の保全に努めながら、歴史資源を中心とした新たな観光資源の発掘や、既存資源との連携度を深め、現在以上に “通年かつ滞在型の観光” へ重点を置いた取り組みを進めているところです。
鴨川市の気候
鴨川市は、房総丘陵を北側に抱え、東側と南側に太平洋を望む温暖な地域です。下表の「鴨川市の気温と降水量」について、同市の年間気温と降水量の各平均値の変化を月別に見ると、 “夏涼しく・冬暖かい” という気候の特色が現れています。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(℃) | 4.8 | 7.0 | 9.6 | 13.2 | 18.3 | 21.3 | 24.1 | 25.6 | 23.4 | 18.9 | 14.1 | 9.2 | 15.8 |
平均降水量(mm) | 123 | 161 | 124 | 165 | 168 | 142 | 191 | 130 | 119 | 120 | 141 | 249 | 1,884* |
* 注)降水量は年間総計(mm)
ちなみに千葉県下には、18個所の気象庁観測所があります。南房総の4市町(南房総市、安房郡鋸南町、館山市、鴨川市)では、鴨川と館山、鋸南町の3個所に観測所があります(右図参照)。
上記の “気温と降水量の統計データ” をグラフにした「雨温図」で見ると、同じ南房総エリアの鴨川市と館山市の気温と降水量の月別平均値の変化具合は、ほぼ同一のパターンを示しています。この同一傾向は、表に示された鴨川市の気温(最高・最低)と降水量の各月別平均値のどちらについても誤差が極めて少なくなっています。
気温と降水量の千葉県下における「地区別比較」については、本ページの「房総半島の気温と降水量」のデータ解説の個所も併せてご覧ください。房総半島の北・中央 (内陸部) ・外房エリア (太平洋沿岸エリア) ・内房エリア (東京湾沿岸エリア) の各地区の気候特性をより詳しく知ることができるでしょう。
鴨川市へのアクセス
◎車利用の場合
▼東京 ⇒京葉道路館山自動車道 ⇒姉崎袖ケ浦IC ⇒主要地方道千葉鴨川線・国道410号・鴨川有料道路[48km] ⇒鴨川
▼東京 ⇒京葉道路館山自動車道 ⇒君津IC ⇒房総スカイライン・鴨川有料道路[45km] ⇒鴨川
▼東京 ⇒京葉道路館山自動車道・富津館山道路 ⇒鋸南保田IC ⇒主要地方道鴨川保田線 (長狭街道:県道)[27km] ⇒鴨川
▼川崎 ⇒東京湾アクアライン ⇒君津IC ⇒房総スカイライン・鴨川有料道路[45km] ⇒鴨川
(※東京・千葉方面からは、館山自動車道・君津I.C.~房総スカイライン・鴨川有料道路が時間的に最短ルート)
◎電車利用の場合
▽東京 ⇒京葉線・外房線 (特急わかしお号)[約2時間] ⇒安房鴨川
(※京葉線東京駅から上総一ノ宮駅行・勝浦駅行・安房鴨川駅行の特急「わかしお号」が1時間ごとに運行)
◎高速バス利用の場合
▼浜松町駅・東京駅 ⇒東京湾アクアライン・かずさアーク経由[約2時間] ⇒安房鴨川駅
■地域編2/ 外房エリアの立地環境
◎対象リゾート地/勝浦市、いすみ市、夷隅郡御宿町、同郡大多喜町
外房エリアの気候・風土
外房エリアは、太平洋の黒潮の影響から真夏日・真冬日が少ないのが特色です。海洋性気候のために一年を通して温暖な気候に恵まれています(→右の「千葉県天気予報発表区域図」を参照)。
夏は海上からの風が吹くため朝・夕になると気温が下がり、過ごしやすくなります。一方、冬は真冬日が少ないため避寒地としても最適なエリアになっています。
ちなみに夏の最高気温は、7月が平均23度台、8月が同じく26度台と30度を下回ります。それに対し、冬の最高気温は平均で10度以上となっており、“夏涼しく・冬暖かい” 気候であり、東京都心に比べて過ごしやすいのが特色です。
こうした海洋性気候のため、一年を通じて保水力が東京より高いというデータも出ています。〔観測地:勝浦観測所 (標高11.9m) =気象庁提供「平年値データ」より〕
なお、この「外房エリア」の対象となる勝浦市、夷隅郡御宿町、いすみ市、夷隅郡大多喜町 の2市2町は、上掲の「気象庁・千葉県天気予報発表区域図」で示された通り、天気予報の発表区域としては「南房総エリア」(南房総市、館山市、鴨川市、安房郡鋸南町の3市1町)とともに同一の緑エリア (=房総「南部」:夷隅・安房地区) に統合されています。
したがって、隣接するこの「外房エリア」と先に見た「南房総エリア」の海岸線を有する地区では、多少の南北の位置の違いはありますが、1年を通して見ると似通った気温・降水量の変化パターンを示していることもわかります。
ただし、海岸線に面していない一部の内陸エリア (たとえば夷隅郡大多喜町など)では、海岸部のエリアと比べて降水量が多いという違いも見られます (「房総半島の気温と降水量」の項を参照)。
■ 勝浦市の立地環境
勝浦市の地理特性・市勢・沿革
◎勝浦市の地理特性
勝浦市 (かつうらし) は千葉県南東部、上総地方の南部に位置します。市の東側から南西部にかけては黒潮の北上する太平洋に面し、海岸線はリアス式の美しい自然景観に富んでいます。
勝浦市は市域の北東部を「総野 (ふさの) 地区」、北西部を「上野 (うえの) 地区」、南東部を「勝浦 (かつうら) 地区」、南西部を「興津 (おきつ) 地区」と呼称しています (→右下の地区割りマップ参照)。これは、昭和の大合併で「勝浦市」が成立する前の自治体の行政区域と一致する地区割りです。太平洋沿岸部は「国道128号」(=外房黒潮ライン)、内陸部は大多喜方面へと接続する「国道297号」(大多喜町経由~市原市=終点) が縦貫しています。
首都圏での立地は、県庁所在地である千葉市からは南に約60km、東京都心からは約75km圏内に位置しています。東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短 (約75km) となります。
中心部の勝浦地区には、勝浦湾沿いに「勝浦漁港」があります。銚子漁港に次ぐ県下2位の漁獲量を誇り、古くから漁師町として栄えました。南西部である興津地区には「勝浦海中公園」があります。勝浦湾を擁する勝浦地区から南西の興津地区にかけてのほとんどはリアス式海岸になっており、南房総国定公園に指定されるほど景観が美しいエリアです。
市の北西部である上野地区は房総丘陵地帯であり、海抜150~250mの丘陵性山地が広く分布しています。勝浦市はその市域の3分の2が山地となっており、平坦地の少ない地形です。そのため人口が増加しにくく、夷隅郡市内では、北東部で接する「いすみ市」の約1/2ほどの人口となっています。
◇勝浦市の人口に関する特殊な状況について: 勝浦市は、首都圏の市で唯一、人口が2万人を割り込んでおり、人口が一番少ない市です。2014年 (平成26年) 3月31日には総務省から “過疎地域” に指定されました。20歳前後の人口が突出しており、これは市内にある国際武道大学の学生が市の全人口の約1割を占めるという特殊な人口状態を示すものです。
▽人口:18,672人 [※平成28年3月31日現在]/ ▽面積:93.96㎢/ ▽周囲:67.00km ▽隣接自治体:鴨川市、いすみ市、夷隅郡御宿町、夷隅郡大多喜町/ ▽海抜:0~268m/ ▽東西 (最長):14km/ ▽南北 (最長):12.5km
◎勝浦市の沿革
1889年 (明治22年) 町村制の施行により、勝浦村・豊浜村・清海村・上野村・総野村が生まれました。翌明治23年には勝浦村は勝浦町に、清海村は1921年(大正10年)興津町となり、1937年 (昭和12年) 4月1日に勝浦町は豊浜村と合併。1953年 (昭和28年) の町村合併促進法に基づき、1955年 (昭和30年) 2月11日に4ヵ町村が合併して勝浦町として統合。さらに1958年 (昭和33年) 10月1日、千葉県内18番目の市として誕生しました (*出典:勝浦市公式ページより)。
勝浦市の自然環境と気候
◎勝浦市の自然環境
勝浦市内の地形の全体像は、夷隅川の西側に標高・起伏のやや大きい清澄山山塊、東側には西側に比べて標高・起伏の小さい夷隅丘陵に区分されます。市内には夷隅川水系などの河川及び沢などの支流が縦横に流れており、また直接海へ流入している河川も多くあります。
そして勝浦市の自然環境面で抜きにできないのは、東側から南西方向にかけて約20㎞に及び広がる海岸線の景観でしょう。勝浦市内の海岸のほとんどは太平洋の荒波に浸食されたリアス式海岸です。”海岸線の美しい勝浦” というイメージに象徴されるように、その独特の海岸線がつくり出したダイナミックな景観は、同市の自然環境のイメージを代表する要素となっています。
岬と入り江が連続する美しいリアス式海岸線の景観は、訪れた人の目を釘付けにするほど見事です。その独特な地形から、数々の奇岩や景勝地があり、「南房総国定公園」にも指定されています。
また、家族連れなどが安心して楽しめる海水浴場にも恵まれています。夏場に開設されるものとしては現在、勝浦中央海水浴場、鵜原海水浴場、守谷海水浴場、興津海水浴場の4つがメインとなっており、勝浦市の気候も相まって、夏場は避暑・海水浴目当ての観光客で賑わいます。
そして、湾や入り江の多い勝浦市内の海岸部には、県下で漁獲高2位の勝浦漁港をはじめ17の漁港があります。四季折々に金目鯛、カツオ、サザエ、アワビ、伊勢エビなど、様々な魚介類が豊富に水揚げされます。ちなみに、カツオは1996年 (平成8年) に、イセエビは同年と1998年 (平成10年) に、それぞれ全国一の漁獲高を記録しました。
それらの旬の味覚を市内の飲食店、宿泊施設などで気軽に味わうことができます。これも勝浦市の自然環境がもたらす恵みといえるでしょう。
一方、海岸に近い勝浦地区の市街地から20分ほど車を走らせると、のどかな里山風景が広がります。樹齢500年の杉の木や、樹齢1000年を超える大椎の巨木からは大きなパワーを感じることができます。初夏には、蛍が飛び交う自然豊かな美しい里山でのんびりとリラックスしながら、山間の各種スポーツやレジャーを楽しむことができます。
◎勝浦市の気候
勝浦市の東部から南部にかけては太平洋に面し、黒潮の影響を受けやすいため、 “夏は涼しく冬は暖かい” という海洋性気候が特色です。
特に夏場は、県内でも銚子と並んで最も涼しい気候を示します。ちなみに8月の平均気温は25.3度Cで、最高気温でも30度Cを超えることは少なく、ヒートアイランドの影響もありません。そのため “熱帯夜” も少なく、 “避暑地” としては最適な気候状態を示しています。一方、1月の平均気温は6.4度Cで、最低気温でも2.4度Cまでに止まり、 “避寒地” としても適しています。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年平均 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(℃) | 5.1 | 7.2 | 10.0 | 13.3 | 18.0 | 21.0 | 23.1 | 25.7 | 23.5 | 19.4 | 14.8 | 9.8 | 15.9 |
平均降水量(mm) | 86.2 | 112.2 | 186.0 | 169.4 | 154.5 | 207.9 | 146.6 | 127.3 | 249.5 | 246.1 | 149.8 | 73.0 | 1,908.6* |
* 注)降水量は年間総計(mm)
勝浦市の観光・レジャースポット
★勝浦市の楽しみ方
勝浦市で観光・レジャーを楽しむには、目的に応じていくつかの楽しみ方があるようです。
その一つ目は、各種イベントを楽しむ方法で、年間を通して様々な催しが行われています。二つ目は、勝浦の自然を楽しむ方法。同市の自然観光スポットは、市域の地形状況から市の東側~南側にかけて広がる海岸線沿いに見どころ・楽しみどころが集中しています。
そして三つ目は、市内に点在する歴史・文化に触れられる名所・旧跡巡りを楽しむ方法です。あとの項で掲載する「勝浦市の観光スポット一覧マップ」に沿って紹介しましょう。
◎勝浦市の各種イベントを楽しむ
以下は、勝浦市で実施の各種イベントですが、2017年度 (平成29年1月~平成30年3月末)を例に主なものを紹介しましょう (=平成29年9月1日時点。開催終了分も含む)。
▽2016B-1グランプリスペシャルin東京 (臨海副都心にてシルバーグランプリ獲得!!) /▽「2018かつうらビッグひな祭り」(*下記イベント詳細参照:会期=平成30年2月23日(金)~3月4日(日) 開催予定)/ ▽勝浦鳴海ロードレース大会 (PR動画公開!!=勝浦の美しい海岸線を走るマイルマラソン)/
▽かつうら魅力市 (平成29年11月4日(土)開催予定)/ ▽第15回勝浦港カツオまつり (平成29年6月3日実施・終了)/ ▽第50回 勝浦鳴海駅伝競走大会成績 (平成29年1月15日(日)=実施・終了。結果掲載)/ ▽鵜原大名行列 (平成29年7月22日(土)実施・終了)/ ▽興津灯籠流し (平成29年8月13日(日)実施・終了)/ ▽勝浦大漁まつり(平成29年9月15日(金)~18日(月) 開催予定)/ ▽熱血!!勝浦タンタンメン船団【ゴールドグランプリ】を獲得!!(平成27年10月3日・4日の2日間実施・終了)
こうした勝浦市独自のイベントに参加してみるのも楽しいでしょう。ここでは、その中から「かつうらビッグひな祭り」と、勝浦の歴史ある青空マーケット「勝浦朝市」を取り上げました。
●「かつうらビッグひな祭り」
勝浦市では「2018かつうらビッグひな祭り」が平成30年2月23日 (金) ~3月4日 (日) に開催されます (この祭りは例年同じ時期に開催されます)。ちなみに2017年 (平成29年) は、勝浦灯台100周年 (初点灯は1917年=大正6年=3月1日) を記念してビッグひな祭りとともに灯台の特別公開も行われました。
この “ビッグひな祭り” は、2001年 (平成13年) に「全国勝浦ネットワーク」の縁により、徳島県勝浦町よりおよそ7,000体のひな人形を里子として譲り受け、千葉県勝浦市でも「かつうらビッグひな祭り」が開催されたことに始まります。
ひな祭りの開催期間中には、「勝浦市芸術文化交流センター」”Küste”(キュステ) をはじめ、市内各所に約30,000体のひな人形が飾られ、街はひな祭り一色に彩られます!
この祭りにちなみ、市内浜勝浦の「遠見岬 (とみさき) 神社」では、60段の「富咲 (とみさき) の石段」一面におよそ1,800体のひな人形が飾られ、夕暮れ時からライトアップされます(→ この項冒頭の3枚写真のうち “左” を参照)。期間中は、子どもたちが稚児の衣装で統一した “ひな行列” など、盛りだくさんのイベントや、土日は歩行者天国が開催され、各種の出店 (でみせ) が軒を並べるなど、市外からの観光客も交えて、市内全体がひな祭りで賑わいます。
●勝浦朝市
「勝浦朝市」は、1591年 (天正19年)、植村土佐守泰忠によって産業振興のために開設されたのが始まりとされます。それから400年以上も連綿と続いており、石川県輪島、岐阜県高山と並ぶ “日本三大朝市” の一つといわれます。
長い年月に育まれ、昔も今も変わらず人情味あふれる “勝浦の顔”、勝浦を代表する “名所” として市外にも知られる日常的な “青空マーケット” です。
その伝統と生業 (なりわい) は今日まで脈々と受け継がれ、何代にもわたり朝市に並ぶ店もあり、勝浦市民の台所として多くの人々に親しまれ、日々歴史を刻んでいます。
この朝市では旬の食材 (魚介類や生鮮野菜・果物など=下の季節別一覧参照) や民芸品が並びます。時代を反映してか、多くの観光客も人情味あふれる “勝浦の顔” と新鮮な季節の産物を求めて訪れるようになっています。
▽開催場所:毎月1日~15日は 下本町朝市通り/ 毎月16日~月末までは仲本町朝市通りで開催。(※毎週水曜日と元日定休。上記開催場所マップ参照)
春 | サヤエンドウ・ふき・カリフラワー・菜の花・わらび・ぜんまい・タケノコ・たらの芽・ノビル・イチゴ・菖蒲・桜餅・草餅・初ガツオ・ヤリイカ・ヒジキ・ワカメ・海苔 など |
夏 | トマト・枝豆・なす・きゅうり・オクラ・トウモロコシ・瓜・ゴーヤ・すいか・梨・メロン・プラム・甘夏・赤ジソ・梅・梅酢・あわび・さざえ・舌平目・カブトムシ・クワガタムシ・ほおずき・蓮の葉や花・提灯掛け用の竹 など |
秋 | さつまいも・さといも・自然薯・しょうが・キノコ類・柿・干し柿・栗・ぎんなん・あけび・お月見セット(ススキと団子)・下りガツオ・さば・さんま など |
冬 | ブロッコリー・大根・白菜・ほうれん草・ねぎ・ゆず・タコ・キンメダイ・ビンチョウマグロ・しめ飾り・わら・だいだい など |
勝浦市の主な観光レジャースポット
ここでは勝浦市の主な観光・レジャースポットを紹介しましょう。勝浦市公式ページの「観光施設・名所マップ」に沿って、(1) 勝浦市の自然を楽しめるスポット、(2) 歴史と文化に親しめるスポット、(3) 自然や文化に触れられる施設、という3つのカテゴリーに分けて見どころを抜粋しました。(注/ 各カテゴリーのスポット名の左に記した「Mapと丸数字」は、上記の “マップに記載されたスポットの番号” を示しています)
(1) 勝浦市の自然を楽しめるスポット
●Map① 尾名浦(おなうら=通称:めがね岩)
勝浦湾の西岸、松部漁港から勝浦海中公園に向かう途中の左側にあり、長い間の海蝕と風化によってできた自然の洞です。別名「めがね岩」とも呼ばれ、風光明媚な景観は素晴らしく、波静かな湾内の海面に美しい姿が映えています。ここに大漁の神、稲荷神が古くから祀られ、初漁の生魚を供えて大漁を祈願する風習が今も残されています。勝浦湾を挟んだ東側遠方の勝浦市街や勝浦漁港も望める絶好の撮影スポットになっています。
[▽所在地:勝浦市松部/ ▽TEL:0470-73-1658 (勝浦市観光協会)]
●Map③ 鵜原理想郷
「JR鵜原駅」から徒歩約7分。リアス式海岸が続く明神岬一帯。大正初期にここを別荘地とする計画があり、「理想郷」と呼ばれるようになりました。静かな入り江の彼方に青い海が広がり、散策するには格好の景勝地です。
太平洋の荒波に浸食された、典型的なリアス式海岸です。深い入江を覆うように、紺碧の海に突き出た岬の先端まで木々や海岸性の植物が茂っています。その複雑な自然造形に惹かれ、古くから多くの文人墨客などが訪れ、数々の作品を残したほど美しく優れた自然景観をもっています。特に与謝野晶子は、昭和11年4月~5月に友人画伯らと当地に滞在し、76首の歌を詠んでいるほどです。
[▽所在地:千葉県勝浦市鵜原/ ▽TEL:0470-73-6641 (勝浦市観光商工課観光商工係)]
●Map④ 守谷海岸 (もりやかいがん)・渡島 (わたしま)
鵜原海岸と並び “日本の渚百選” に選ばれた「守谷海岸」は、周囲のリアス式海岸と美しい白砂が絶好のコントラストをなしています (水質も良いため、海水浴にも最適)。その守谷海岸で約150m沖に浮かぶ赤い鳥居が目を引くのが「渡島 (わたしま)」です。年に数回の干潮時には、砂浜と渡島がつながる自然現象をみることができます。
[▽所在地:勝浦市守谷/ ▽TEL:0470-73-6641 (勝浦市観光商工課観光商工係)]
●Map④-2 守谷洞窟
守谷湾の西岸にある海蝕洞窟です。湾西側の岬の先端近くには隆起した岩碓がいくつかあり、そこにできた守谷海蝕洞窟群が小さな岬を隔てて3基あります。その中の1基は、入り口の高さが6m、幅8m、奥行が30mあり、保存状態が良く遺跡や遺物も発見されています。現在は海面からの比高は約3mしかなく、海が荒れている時は近づけません。遺跡は縄文から中世までのものとみられます。土器、土師器、人骨、貝殻、中世陶器などが出土しています。なお、一説には、蜂須賀公が落城の途次、ここに隠れて難を逃れたといわれています。
[▽所在地:勝浦市守谷字小浦861/ ▽TEL:0470-73-6641 (勝浦市観光商工課)]
●Map⑥ おせんころがし
大沢集落の西方に続く海岸に高さ数十メートルの断崖が太平洋に向かって切れ落ち、中腹を旧国道がぬっています。この「おせんころがし」には悲しい伝説が伝えられています。昔、土地の豪族古仙家に「おせん」という一人の娘がいました。おせんは村人たちを人とも思わぬ強欲非道な父親を改心させようと説得しました。しかし、父親の心を改心させることは無理と悟り、この断崖から身を投げて、死をもって諫めたと言われています。ここにおせんの墓碑が立っています。
[▽所在地:勝浦市大沢/ ▽TEL:0470-73-6665 (勝浦市社会教育課社会教育係=直通)]
●Map⑧ 八幡岬 (はちまんみさき) 公園・勝浦城址 (かつうらじょうし) 公園
勝浦湾の東側に細長く突き出た半島「八幡岬」の上に広がる自然公園です。約4,700㎡の広さがあり、遊歩道、子供の広場、子供用アスレチック、展望広場などが設けられ、勝浦湾や太平洋を一望することができます。園内の一角の高台には養珠夫人 (徳川家康の側室で水戸光圀の祖母にあたるお万の方)の像が立っています。
三方を海で囲まれた要害であるこの地には、かつて勝浦城がありました。現在、郭内、木戸脇、内宿、二のくら (廓)、三のくらなどの地名は残っていますが、廓跡も八幡岬公園として生まれ変わり、「勝浦城址」周辺も眺めの良い公園として人気があります。
[▽所在地:勝浦市浜勝浦字郭内/ ▽TEL:0470-73-6665 (勝浦市社会教育課=直通)]
(2) 勝浦市の歴史と文化に親しめるスポット
●Map⑤ 高照寺の乳公孫樹 (ちちいちょう)・勝浦朝市発祥之地
傳光山「高照寺」の境内の墓地にあるイチョウの奇樹で、大きな乳柱が多く発生しているためにこの名がついたといわれています (→乳公孫樹は「県指定天然記念物」になっています)。
百年ほど前の勝浦火災のとき、このイチョウの主幹の上部が枯損し、樹高は10m余りですが樹冠は大きく広がりホーキ状になっています。これが大小合わせて100以上の乳房が垂れ下がっているような形になったといわれています。
高照寺の古文書は大火の折り消失してしまったため、樹齢は分かりません。ただ、昭和初期に著名な植物学者・牧野富太郎博士が訪れた際、博士に「千年の年輪を数えるか」と言わしめました。また、わが国において天然記念物の貢献者・三好学博士も1924年 (大正13年) に実査し、乳柱の多いことを称えています。
なお同寺院は、”勝浦朝市発祥之地” としても知られ、入口門前の左手にその標柱が立っています。
[▽所在地:勝浦市勝浦49/ ▽TEL:0470-73-7474 (=直通)]
●Map⑦ 官軍塚
1868年 (慶応4年/明治元年)~1869年 (明治2年) に起きた「戊辰戦争」は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした “新政府軍” と、”旧幕府勢力” および “奥羽越列藩同盟” が戦った日本の内戦でした (名称は慶応4年/明治元年の干支が「戊・辰」であることに由来)。
その戦争の末期、旧幕府の海軍副総督・榎本武揚を鎮圧する命を受けた熊本藩は、米国船ハーマン号に兵を乗せ、函館五稜郭へ向かう途中でした。しかし勝浦の川津沖で船は難破してしまいました。その際、地元民らが救助にあたりましたが、200人以上が亡くなったと伝えられています。この「官軍塚」は、それらの遭難者の供養のために作られた公園です。毎年2月中旬頃には、河津桜が見ごろになります。
[▽所在地:勝浦市川津1394/ ▽TEL:0470-73-6665 (勝浦市社会教育課=直通)]
●Map⑨ 覚翁寺
「覚翁寺」はJR勝浦駅から徒歩15分のところにあります。勝浦朝市の歴史を示す定書が奉納されており、勝浦藩主であった植村家の菩提寺にもなっています。江戸時代の1634年 (寛永11年)、勝浦城主・植村泰勝が死去した際、勝浦城内にあった浄林寺をここに移し、泰勝の幼名「覚翁丸」をとって「出水山覚翁寺」と命名したといわれます。
境内には、植村氏三代・泰朝、同四代・忠朝、同五代・正朝の墓、宝筺印塔 (ほうきょういんとう) があり、勝浦市の指定文化財となっています。また、本堂には江戸彫刻の名人といわれている通称「波の伊八」(武志伊八郎信由) の欄間が残されています。
[▽所在地:勝浦市出水1297/ ▽TEL:0470-73-3115 (=寺院直通)]
●Map⑩ 妙覚寺・同山門と繋船柱碑
JR上総興津駅より徒歩5分。日蓮宗四本山の一つ。広栄山と号し1264年 (文永元年) 奥津城主佐久間兵庫頭重貞の開基と伝えられ、江戸時代に日蓮宗本山として末寺を多く有し、御朱印25石であったと伝えられています。この山門は江戸末期の当地方作の代表的建物の一つです。
大工棟梁の名前は判明しませんが、おそらく伝統ある夷隅大工の流れをくむものであろうと考えられています。三間二面一戸の楼門、1836年 (天保7年) に建造にかかり、1839年 (天保10年) に完成しました。柱は直径30cm、入母屋造り、桟瓦葺であり、懸魚 (げぎょ) に孔雀の彫刻があります。
ちなみに、興津 (おきつ) は江戸時代に江戸と東北を結ぶ重要港で、妙覚寺には仙台藩役所が置かれていました。かつて港の弁天崎磯際に「繋船柱碑」が十数本も並立し、これに繋留する船舶は一艘につき金1朱と御供米2升、500石以下は200文を妙覚寺に納めたといわれています (境内には移転した繋船柱碑とその名称を記した柱とガイド板が設営されています→「●Map⑮ 繋船柱碑」の項参照)。
[▽所在地:勝浦市興津1191/ ▽TEL:0470-76-0339 (=寺院直通)]
●Map⑪ 遠見岬神社
この神社は、江戸時代までは富大明神と称し、はじめ八幡岬突端の富貴島にあったといわれています。その後1601年 (慶長6年) の津波で流され、宮ノ谷に再建。さらに1659年 (万治2年) に現在の場所に建立されました。
1871年 (明治4年) 新政府の社格制度の発令で天富命 (あめのとみのみこと) を祭神とし郷社に選定されました。現在の社殿は1849年 (嘉永2年) に造営されたものです。毎年9月望の日に祭礼を行っていましたが、1911年 (明治44年) より9月13日に改められました。
うっそうとした樹木が繁茂し、森厳な雰囲気が漂う古社です。勝浦市街を見下ろすように高台にあり、太平洋を一望できる眺めのすばらしいスポットとしても人気があります。「かつうらビッグひな祭り」の時期に合わせ、神社内にある「富咲の石段」に1,800体ともいわれるひな人形が飾られる様は見事の一語です。
[▽所在地:勝浦市浜勝浦11/ ▽TEL:0470-73-0034 (=神社直通)]
●Map⑮ 繋船柱碑 (けいせんちゅうひ) 〔勝浦市指定文化財〕
JR「上総興津駅」(かずさおきつえき) より徒歩10分。江戸時代に興津は、東北諸藩の廻米交易船の碇泊地として、また房総沿岸有数の避難港として、いわゆる興津千軒の繁栄をもたらした要港でした。殊に穀倉を誇る仙台藩はその往来が最も激しく、興津天道山下に陣屋を置き、寄港船の取り締まりや連絡等にあたらせたといわれています。
この石柱も、当時仙台藩によって運ばれたもので、石巻近在に産する粘板岩、通称「仙台石」でできています。かつて港の弁天崎磯際に十数本も並立し、これに繋留する船舶は一艘につき金1朱と御供米2升、500石以下は200文を妙覚寺に納めたといわれています。現在、江戸時代に使用されていた石柱は、「興津港海浜公園」と「廣榮山妙覺寺」に勝浦市指定文化財として納められています。 (→「●Map⑩ 妙覚寺」の項参照)。
[▽所在地:勝浦市興津(興津海浜公園内)/ ▽TEL:0470-73-6665(市社会教育課=直通)]
(3) 勝浦市の自然や文化に触れられる施設
●Map② 勝浦灯台
「勝浦灯台」は、1917年 (大正6年) 2月、海抜71mの「ひらめヶ丘」に建設され、同年3月に初点灯しました。燈高21m、光度14万カンデラ (燭光)。関東では参観灯台以外では数少ない高塔の灯台です (灯台は勝浦航路標識事務所敷地内にあり、基本的には一般の立入は禁止)。
ちなみに勝浦灯台は2017年 (平成29年) が初点灯からちょうど100周年にあたります。これを記念して「2017かつうらビッグひな祭り」(3月4日、5日) にあわせ、灯台敷地にひな人形が飾られ、灯台の施設も一般に公開されました。灯台の建つひらめヶ丘から見る日の出は圧巻です!
[▽所在地:勝浦市川津/ ▽TEL:0470-73-1658 (勝浦市観光協会)]
●Map⑫ 勝浦海中公園・海中展望塔
「海中展望塔」は、この一帯14.5ha (ヘクタール) の「勝浦海域公園」の中心となる施設であり、東洋一の規模を誇ります。全国に6か所ある海中展望塔の中では “高さ日本一” を誇り、24.4mの高さがあります (深さは8m)。
60m沖合いにこの展望塔が建つリアス式海岸の自然美あふれる景勝地・勝浦市鵜原地先は、寒流と暖流の接点にあり、海の生物がとても豊富です。塔の中の海面下の位置に海中の様子を見ることができる展望室があり、その観賞窓から季節ごとにたくさんの魚や海底の様子を間近に見ることができるため、大人も子供も楽しめます。
[▽所在地:勝浦市吉尾174 (勝浦海中公園ビジターセンター)/ ▽TEL:0470-76-2955 (=直通)]
●Map⑬ 千葉県立中央博物館分館・海の博物館
この「海の博物館」は “房総の海と自然” をテーマとした自然誌博物館として、房総の海の最新情報を知ることができます。また、磯の観察会などの行事も開催されています。特に博物館周辺の自然環境を活かし、館内だけでなく、野外での自然観察を主体とする行事を数多く催しているため、子供たちにも人気があります。
また同博物館では、勝浦を中心とした房総の豊かな海の自然誌を春夏秋冬の季節に合わせて体験的に学べる展示を行っているほか、「県立中央博物館」の分館として、千葉県の海の自然誌に関する調査研究ならびに資料の収集と保管も行っています。
[▽所在地:勝浦市吉尾123/ ▽TEL:0470-76-1133 (=直通)]
●Map⑭ 勝浦宇宙通信所
「宇宙航空研究開発機構」(JAXA) の施設で、その主な業務は、人工衛星の追跡と管制です。打ち上げられた人工衛星からの電波を受信し、人工衛星の位置や姿勢、積んでいる電子機器が正しく働いているかどうかを確認します。状況に応じて衛星に対するコマンド(指令)電波を送信し、衛星を維持管理する役割を果たしています。
人工衛星との電波送受信用に直径20m、13m、11m、10mの4種類のパラボラアンテナが設置されているほか、追跡管制棟、電力棟、野々塚コリメーション棟 (野々塚山) の設備があり、一般向けの見学コーナーも常設しており、宇宙・科学に関心のある人たちが熱心に見学に訪れています。
[▽所在地:勝浦市芳賀花立山1-14/ ▽TEL:0470-77-1601 (=勝浦宇宙通信所直通)]
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勝浦市へのアクセス
◎車利用の場合
東京
↓京葉道路・館山自動車道
市原IC
↓国道297号(市原ICから約1時間20分)
勝浦
東京
↓アクアライン・圏央道
市原鶴舞IC
↓国道297号(市原鶴舞ICから約50分)
勝浦
◎電車利用の場合
▼東京(地下5階京葉線ホームより「特急わかしお」に乗車)
↓
勝浦駅(東京駅から約1時間27分)
▼成田空港(成田線快速東京行き約50分)
↓
千葉駅(外房線安房鴨川行き約100分)
↓
勝浦
◎高速バス利用の場合
▼浜松町バスターミナル
↓
東京駅八重洲口
↓
市原鶴舞バスターミナル
↓
勝浦駅(浜松町BTから約2時間)
■ 夷隅郡御宿町 (いすみぐんおんじゅくまち) の立地環境
御宿町の地理特性・町勢・沿革
◎御宿町の地理特性
御宿町 (おんじゅくまち) は、千葉県の東南部、房総半島中央部東端に位置する小さな町です。太平洋に面しており、 “外房” のほぼ真ん中にあたる夷隅郡 (いすみぐん) 内にあります。
首都東京までは北西方向へ75㎞の地点に立地し、東京駅からJR外房線「御宿駅」への所要時間は、外房線直通の特急「わかしお号」で約1時間20分です (▲右側地図参照)。
交通環境としては、町の東寄り、海岸線に近いところを北東から南西の方向にJR外房線が走り、その東側をJR外房線に沿うように国道128号線 (別名:房総横断道路、愛称:外房黒潮ライン) が、町の北で接するいすみ市と、南で接する勝浦市とを南北で結んでいます。
同町の町並みの多くは、JR御宿駅より東側を中心に開けています。JR外房線の西側の一部にある町並みから西側一帯は里山になっており、2つの小高い山並みが南北に並行して続きます。それらを中央で切り分けるように南北に細長い盆地と集落が見られます (▲右側航空写真参照)。
▽人口:7,718人 (男=3,659人、女=4,059人/ 平成28年11月30日現在)/ ▽面積:24.86km² (※南房総地区5市3町で最小) **比較1:勝浦市の面積 :93.96km²=御宿町の3.76倍、**比較2:いすみ市の面積=157.44km²→御宿町の6.33倍)/ ▽東西(最長):約7.3km/ ▽南北(最長):約5.7km/ ▽隣接自治体:いすみ市、勝浦市/ ▽参考データ [通勤率:いすみ市へ就業人口の13.8%、勝浦市へ同10.8% (いずれも平成22年国勢調査より)]
◎御宿町の沿革
御宿町は、1914年 (大正3年) 4月1日に町制を施行して誕生しました。その後、1955年 (昭和30年) 3月31日に上布施、実谷、七本地区の一部と浪花村岩和田地区との合併を行い、現在の御宿町となりました。
「御宿(おんじゅく)」という名称については、鎌倉時代に由来するとされます。
鎌倉時代の第五代執権・北条時頼が諸国行脚の折りに当地を訪れ、あまりにも景色が良いためこの地に宿泊することになり、それにちなんで読んだ「御宿せし そのときよりと人とはば 網代の海に夕影の松」という短歌があります。その歌の「御宿」がそのまま地名になったと伝えられています (▲右の写真は最明寺にある石碑)。
御宿町の自然環境と気候
◎御宿町の自然環境
御宿町の外房 (太平洋) には房総を代表する御宿海岸があり、約2kmに渡り三日月形の真っ白な砂浜が広がります。その海岸線の景観は、まさに “白砂青松” の形容にふさわしい美しさを備えています。
毎年多くの海水浴客が訪れる房総を代表する御宿海水浴場があり、童謡「月の沙漠」発祥の地としても知られます。御宿町の海水浴場としてはほかに、東側の「岩和田海水浴場」、西側の「御宿町浜海水浴場」などがあり、夏場になると町全体が海水浴客で賑わいます。
そして町の中央部から西側は、小高い山が南北に連なる里山となっています。海岸に近く町の中心部をなすJR外房線の東側地区の賑わいある環境とは対照的に、山間の盆地などもあり、緑豊かな地形とのどかな風土に包まれています。
◎御宿町の気候
御宿町の気候は年間を通じて温暖で、気候区分は暖温帯になります。
御宿町の気温と降水量を比較したものが右の「気候グラフ」です。気温を折れ線で、降水量を棒グラフで表したものです。同町の降水量は顕著で、最も穏やかな月の間でも比較的多めの降水量があります。同町の年間平均気温は15.1度C、年間降水量はおよそ1,904mmです。
最も乾燥している時期は1月で、降水量はわずか77mmです。これに対しピークは10月で、降水量は平均259mmにも達します。気温は、一番温かい月 (8月) でも平均すると25.5度Cで30度には達しません。逆に最も寒い月 (1月) の平均気温は、下がっても5.8度Cまでで、”夏涼しく・冬暖かい” という年間の温暖な気候を示しています。
御宿町の気温と降水量の月別変化を一覧にしたものが右の「雨温図」(表組み)です。これによると、最低降水量月 (1月) と最高降水量月 (10月) の降水量の差は182mmあります。また、気温の月別変動幅は19.7度C前後で、寒暖差は少ないといえます。
御宿町の観光・レジャースポット
★御宿町の楽しみ方
(1) 町の観光イベントを楽しむ
御宿町は町全体が美しい自然景観に恵まれ、里山では花や野菜などの農作物が収穫されます。また、町内の漁港からは、伊勢えびやアワビなどの魚介類が水揚げされ、町で新鮮な海鮮料理を味わえます。
同町では、「おんじゅく伊勢えび祭り」や「御宿朝市」などのほか、四季を通じて各種観光イベントが開催されており、町の生活風土を身近に感じたり、新鮮な食材を味わえる格好の場になっています。
◇御宿町の各種イベント
●「おんじゅく伊勢えび祭り」(秋のイベント)
▼開催日:9月1日(金)~10月31日(火)
▼開催場所:御宿町内協賛店および「月の沙漠記念館」前広場
▼ビッグイベント:9月中旬と10月初めの日曜日に開催
御宿町を含め外房一帯は、伊勢えびの漁獲高が日本一を誇ります。御宿町では、秋のイベントとして毎年9月始めから10月末にかけて「おんじゅく伊勢えび祭り」が行われ、開催期間中は同町の地域特産物である「伊勢えび」を使ったオリジナル料理を町内協賛店 (飲食・宿泊業) で食べられます。また、ビッグイベントでは「伊勢えび直売所」など、伊勢えびを活用した様々な催しを楽しめます。
●キンメフェス in ONJUKU (春のイベント)
▽開催日:毎年2月1日~3月31日
“御宿町内の協賛店にて旬の金目鯛を味わえる!”~期間中、協賛店において定番の煮付けや趣向を凝らしたオリジナルメニューをじっくり味わえます。なお、「おんじゅく釣りキンメ祭り」として、金目鯛が数量限定で特別価格により直売されます!また、キンメ汁の無料配布やキンメ炊き込みご飯の販売、クルージング、ステージイベント、青空市などのお得で楽しいイベントも行われます。
●「御宿朝市」(毎月)
▽開催場所:御宿町新町朝市通り
▽開催期間 毎月2日、7日、12日、17日、22日、27日
江戸時代より続く「御宿朝市」は、毎月2と7のつく日に御宿町新町にある朝市通りで開催されています。朝からお昼前 (11時) までの時間に、新鮮な魚介類や野菜が並び、目と舌の両方で味わえます。
《外房イセエビ》
「伊勢えび」は千葉県が北限とされます。外房地区では広大な器械根と隣接する磯根を漁場とし、エサが豊富で、色が鮮やか。刺網漁業で獲られ、夜明け前に網揚げされます。一尾ずつ丁寧に扱われ、活力の低下を防いでいます。
《外房アワビ》
外房は日本随一を誇る「あわび」の産地でもあります。たっぷりと海の恵みをとじこめた御宿のあわびは、肉厚でやわらかく、お刺身や蒸し焼き、煮あわびなど様々な調理法で食べられます。
《外房つりキンメ鯛》
きんめ鯛は、水深200~500mの深場に棲むため目が大きく、黄金色に輝くことから名前がついたとされます。色鮮やかな魚で、真鯛よりも美しい朱色をしています。一般的にきんめ鯛の旬は冬から春ですが、御宿の釣りキンメダイは一年を通して脂がのっています。
(2) 御宿町の自然景観を楽しむ
御宿町の自然に親しみ、自然に囲まれて遊び、楽しめるスポットを紹介しましょう。
●御宿海岸 (おんじゅくかいがん)
御宿海岸 (中央海岸) は、約2kmにわたる独特の三日月形をしており、きめ細かで純白の美しい “白砂青松” の遠浅の砂浜が広がります。夏場には海水浴客で賑わいます。この海岸の一角には、童謡「月の沙漠」を記念し、歌詞にも登場するラクダに乗った王子と姫の像 (「月の沙漠記念像」) と、歌詞の一部を刻んだ三日月形の記念碑があります。若い男女にも人気のスポットです。
なお、海水浴場はほかに、網代湾 (あじろわん) の西側に御宿浜海水浴場、東側に岸和田海水浴場、御宿町岩和田海水浴場 があり、いずれも房総地区を代表する白砂青松の海岸として人気があります。御宿海岸ではイベントも多彩で、アームレスリング大会、ビーチバレー大会、花火大会などが開催されます。常設のビーチバレーコートもあり若者の男女に人気の海水浴場です。
▽所在地:御宿海水浴場/御宿町須賀、御宿浜海水浴場/御宿町浜、岸和田海水浴場・御宿町岩和田海水浴場/御宿町岩和田
●「御宿ウォーターパーク」 (御宿町立プール)
御宿海岸の砂浜にほぼ隣接する形で作られており、プールで楽しみながら “潮風の楽しめる、海にもっとも近いウォーターパーク” です。全長127mの流れるプールに加え、多目的プール、全長74mのスリル満点の川下りスライダー、幼児プールなど、小さい子でも楽しめるプールも備えています。コンパクトながら充実した内容。自然に取り囲まれながら自然の爽やかさを肌で感じ取れる点で、ファミリーや子供会などの小グループの利用者には特に人気があります。
▽所在地:御宿町須賀2208/ ▽利用期間:毎年7月中旬~8月下旬
このほか御宿町には、ゲートボール場や体育館、野球場、テニス場、ゴルフ場など、様々なスポーツ施設があります。町民以外の人でも、親子連れやスポーツ好きの人たちが御宿町の自然と接しながら楽しめる開放的なスポットがいろいろと揃っています。
●田尻海岸[ドン・ロドリゴ上陸の地]
今から約400年前の西暦1609年、岩和田村の田尻沖にイスパニア船「サン・フランシスコ号」 が嵐に遭い座礁しました。
当時の岩和田村の村民は総出で救助にあたり、何とか田尻浜に漂着したドン・ロドリゴ船長をはじめ、凍えた乗組員を素肌で温め、衣服や食料を惜しみなく提供し、乗組員373人のうち317人の命を救ったと伝えられています。砂浜のすぐ背後には、岩肌も露わな岸壁が迫っており、自然の厳しさとともに景観の素晴らしさを感じつつ浜に立って太平洋の海原を眺めていると、400年前の村民とメキシコの船員たちとの心温まる交流風景が蘇ってくることでしょう。
▽所在地:御宿町田尻海岸 (岩和田)
(2) 御宿町の歴史と文化に親しむ
御宿町と縁の深い歴史上の出来事や逸話や記録文書などの歴史・文化資産に触れながら、御宿町独自の歴史的風土や町の風情が身近に感じられるスポットをいくつか紹介しましょう。
●最明寺 (さいみょうじ)
御宿 (おんじゅく) という名前の由来は、鎌倉時代に北条時頼が諸国行脚の際、最明寺に宿泊して詠った歌から取られたと伝えられています。境内にはそれにまつわる歌が記された石碑 (→「御宿町の沿革」を参照) があります。
また、童謡「月の沙漠」の作詞者・加藤まさをも晩年は御宿で過ごし、同寺にその墓があります。江戸時代中期に活躍した宮彫師・波の伊八 (=通称) が彫ったとされる「向拝の獅子頭」「象鼻」の彫刻もこの寺にあります。 ▽所在地:御宿町須賀
●「月の沙漠記念館」
「月の沙漠記念館」は、御宿をこよなく愛した詩人・加藤まさをの作品や資料の展示・公開をはじめ、御宿にゆかりのある文人や画家たちの紹介など、御宿の再発見と新しい文化の創造を目指して建てられた夢とロマンあふれる記念館です。
この記念館は、御宿海岸からすぐ近くの歩いて行ける場所 (同町六軒町地区) にあります。どこかエキゾチックなアラビア風の雰囲気が漂う外観が特徴です。「月の沙漠」はこの御宿海岸をこよなく愛していた加藤まさをの作詞によります (作曲は佐々木すぐる)。大正浪漫の香りを色濃く残した記念館で、童謡「月の沙漠」の歌詞の世界を想像しながら、作詞者加藤まさをの “夢世界” に想いを巡らせてみるのも楽しいことでしょう。
▽所在地:御宿町六軒町505-1
●「メキシコ記念公園」と「日西墨三国交通発祥記念之碑」
この公園には、「日西墨 (日本・スペイン・メキシコ) 三国交通発祥記念之碑」(=メキシコ記念塔)があります。由来は400年余り前の1609年 (慶長14年) 9月30日 (旧暦9月4日) の朝に遡ります。当時、岩和田海岸 (現田尻浜) でフィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ総督を乗せたイスパニア (スペイン) 船「サンフランシスコ号」が座礁・沈没しました。
この時、岩和田の人達は力を合わせて漂着した船員たちを救助しました。当時の岩和田の人口は300人程で、助かった人は人口より多い300人以上。部落の生活は貧乏でしたが、心のやさしい人々は自分のことよりも他人の難儀を救うために、大切な着物や、食べ物を分け与えたと伝えられています。
この出来事があってから、日本とメキシコとスペインと三国の交通が始まりました。これを記念して、御宿町の東、岩和田の山の上 (船員たちが漂着した田尻海岸の後背にある高台) に白く輝く記念塔が1928年 (昭和3年) に建てられました。
▽所在地:御宿町岩和田702/ ▽利用時間:夏季・午前8時~午後5時、冬季・午前8時~午後4時30分 (※時間外は施錠されています)
●「御宿町歴史民俗資料館」
館内には、縄文時代の土器をはじめ、地曳網用具などの漁具、むしろ織り機などの農具、その他、御宿の暮らしぶりを知ることができる資料や文献が展示されています。それらと併設された「五倫文庫」には、「財団法人五倫文庫」から寄贈された “江戸時代~昭和” にわたる国内外の貴重な教科書が収蔵されています。
また、「紙本著色大多喜藩陣列之図」(県指定) は、嘉永年間 (1848年~1853年) における大田喜藩による海岸防備のようすが描かれたものと考えられており、当時の御宿町に関連を持つ資料として、また幕末の藩の軍備を知る資料としても貴重なものといわれます。
▽所在地:御宿町久保2200/ ▽入場料:無料
御宿町へのアクセス
◎鉄道利用の場合:
●JR外房線「御宿駅」:(東京駅から)
▽外房線 (特急わかしお) ー JR御宿駅下車 (所要時間:約1時間20分)
▽総武線快速 ー 外房線 (千葉駅) ー JR御宿駅下車
◎車利用の場合:
●国道128号(ルート1)、または 国道297号(ルート2)で錦糸町から100キロ。
▽ルート1経路/ 東関東自動車道 ー 京葉道路 ー 東金有料道路(大宮IC) ー 外房有料道路 ー 国道128号
▽ルート2経路/ 東関東自動車道 ー 京葉道路 ー 館山自動車道 ー 圏央道(市原鶴舞IC) ー 国道297号(大多喜町経由)
▽ルート2別経路/ 東京湾アクアライン ー 圏央道(市原鶴舞IC) ー 国道297号 (大多喜町経由)
■ いすみ市の立地環境
いすみ市の地理特性・沿革・市勢
房総半島の外房地区に位置する「いすみ市」の特色をひと言で紹介すると、『”温暖な気候” と “肥沃な耕地” に恵まれ、四季折々の農作物が豊かに実る “田園都市”』 (=いすみ市公式ページより抜粋) です。この項ではまず具体的に、いすみ市の地理的特性、沿革、市勢 (市域) について、概要をまとめました。
◎いすみ市の地理特性
いすみ市は、千葉県の房総半島東部に位置し、千葉市とはほぼ45km圏、首都圏の主要都市とは75km圏内にあります。
市の東側は太平洋に面し、北部は千葉県長生郡一宮町、同郡・睦沢町に、西部は夷隅郡大多喜町に、南部は勝浦市、夷隅郡御宿町に接しています (→「千葉県天気予報発表区域図」参照)。
◎いすみ市の沿革
いすみ市は、2005年 (平成17年) 12月5日に平成の大合併によって、旧夷隅郡の3町=夷隅町・大原町・岬町=が合併し、千葉県内34番目の市として誕生しました。ちなみに千葉県内において名前に平仮名を用いた市町村は、「いすみ市」が初めてであり、しかも唯一の存在です。
◎いすみ市の市勢
▽世帯数:16,910戸 (2017年=平成29年=9月1日現在)/ ▽人口:38,958人 (2017年=平成29年=9月1日現在)/ ▽面積:157.5km²/ ▽東西 (直線最長):約14km/ ▽南北 (直線最長):17km/ ▽隣接する自治体:勝浦市、夷隅郡大多喜町、同郡御宿町、長生郡一宮町、同郡睦沢町/ ▽参考データ:茂原市への通勤率は10.2% (=平成22年国勢調査より)
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《参考》 ◇いすみ市の市章
[※2005年 (平成17年) 12月5日制定]
いすみ市の「イ」をモチーフに、飛躍を意味する羽ばたく鳥をイメージしています。全体の形は千葉県を表し、円はいすみ市を示しています。また緑色は豊かな自然を、青は海・川を表しています。
いすみ市の自然環境・気候・特産品
◎いすみ市の自然環境
いすみ市の市内には、「夷隅川」と支流の「落合川」と「桑田川」が流れます。穏やかな起伏の丘陵地の谷津には、水田が見られます。
北東部には九十九里平野の南端に位置する「太東岬」(たいとうみさき) があり、ここで九十九里浜は終わります。これより南方は、少しずつ丘陵地になっています。この北東部では、「稲作」と合わせて「梨」の栽培をする兼業農家も見られます。
また市の南西部は、なだらかな房総丘陵に連なっています。中央部には溜池や河川水を利用した水田が広がります。南部では、特に国道128号 (房総黒潮ライン) 沿道から海岸まで丘陵地が続き、磯海岸になっています。
ちなみに、同地域の海底は「器械根」 (きかいね = “いすみね” とも読まれます) と呼ばれる日本最大級の “岩礁群” を有し、好漁場となっています。1900年代後半は “宝の海” とも呼ばれていたほどです。
“里山・里海の自然環境が融合する独自の地形”
いすみ市は千葉県の南東部に位置し、房総丘陵の北東端にあたります。多くが標高100mに満たない低い丘陵とその間に低地の広がる地形となっており、最高標高は「荒木根山」の157.8mです。夷隅川流域を中心に谷津田の里山風景が随所に見られます。
「夷隅川」は千葉県で流域面積が量大の川であり、河口の両岸には旧河川の跡である潟湖 (ラグーン) が残されています。貴重な汽水環境の夷隅川河口干潟は、「日本の重要湿地500」に選定されています。
大原地区の塩田川には、岩船地区の海岸より数mの場所から流れてくる流路があり、海岸のすぐそばから始まるという点が夷隅川に似ています。また、いすみ市にはため池が222か所もあり、千葉県では最多です。
いすみ市の海岸地域は南房総国定公園の北端にあたり、南房総から断続的に続く岩礁海岸は太東埼 (たいとうさき) で終わり、その北側には長い砂浜の九十九里浜が続きます。東方には、水深20m前後の「器械根*」(きかいね=いすみね) と呼ばれる岩礁が沖合い10km以上先まで広がっています。大原沖約40km付近が大陸棚の縁辺部となり、それより沖合いは急激に水深を増し、さらに東方には日本海溝があります。
いすみ市の東方の海には、水深が20m前後の浅い岩礁群が沖合10km以上先まで広がっています。この広さ120㎢にもなる広大は磯根は、発見当初、ヘルメット式潜水具を使った『器械潜水』と呼ばれる方法でアワピを漁獲していたことから「器械根」と呼ばれます。イセエビやタコ、アワビ、サザエなどのー大生息地であり、アジやタイ、ヒラメ、イナダ、スズキなどの好漁場として、釣り客がたくさん訪れます。
世界でこの夷隅地域でしか見つかっていないオオノアナメなどの希少な海藻が生育するほか、アカウミガメやスナメリにとってもきわめて重要な生息環境となっています。(*資料出典:「いすみ生物多様性戦略」~第2章=いすみ市の自然と生物多様性より抜粋)
◎いすみ市の気候
いすみ市の気候は温和で温かく、1年を通して温暖な気候風土です。同市の降水量は顕著で、最も穏やかな月の間でもやや多めの降水量が記録されています。なお、いすみ市の年間を通した平均気温は15.4℃になります。降水量は年間比較で平均1,834mm(年間総降水量)が記録されています。
降水量は1月で最も少なく、平均は75mm。一方、降水量がピークに達するのは10月で、平均252mmとなっています (年間総降水量は1,834mm→「雨温図」参照)。
降水量が少なく最も乾燥した月(1月=75mm)と、最も降水量の多い月(10月=252mm)を比較すると、降水量の差は177mmになります。一方、月別の平均気温で年間気温の変動幅を見ると、平均気温が最も高い月(8月=25.8℃)と、最も低い月(1月=6℃)の差は、19.8℃あります。
いすみ市の年間降水量は先に示した通り、1,900mm前後で、年平均気温は約15.4℃と、温暖な海洋性気候となっています。これは暖流である黒潮の影響です。いすみ市の沖は黒潮の到達する北限域であるため、黒潮のぬくもりに依存するたくさんの生物にとって北限の生息・生育域になっています。
海岸植物のハマオモト (ハマユウ) は、黒潮の影響下でのみ生育する植物です。この分布の境界線をハマオモト線 (本州南岸線) といい、ちょうど、いすみ市はハマオモト線の北限域となっていますが、地球温暖化で生物分布は常に変化しています。
ハマオモト線に分布がおおむね一致する生物には、サンカメイガ (蛾の一種)、アカウミガメ (産卵・孵化)、サンゴ類、チョウチョウオ類、トビハゼ、イシマキガイ、チゴガ二、ヤマトオサガ二、ハマボウ、ハマナタマメなどがあります。また、一方で寒流である親潮の影響を受けて千葉県が南限域となるサケやハマナスなどの生物も見られます。
このようにいすみ市は、黒潮と親潮の両方の影響を受ける “日本列島のほぽ中央の位置” にあり、南北の動植物が出会って共存する極めて豊かな生物相の地域でもあります。
◎いすみ市の特産品
いすみ市は、これまで見てきたように千葉県の九十九里浜の南端に位置し、沿岸部は海洋性気候、内陸部では内陸性気候という二種類の気候が入り混じった地域です。海が近いこともあり、年間を通じて温暖で過ごしやすい場所でもあります。
また千葉県一の流域面積を誇る夷隅川により、肥沃な土地が開けており、多種多様な農産物も生産される非常に恵まれた場所でもあります。このような自然環境・気候風土と産業特性を背景に、いすみ市では、市独自の様々な特産品が生産・出荷されています。
農産物では、千葉県三大米である「いすみ米」、「岬梨」、「ブルーベリー」、「柿」、「いちじく」などがよく知られています。また、全国トップクラスの水揚量を誇り、千葉ブランド水産物認定品である「外房イセエビ」と同ブランド認定品「太東・大原産真ダコ」のほか、「器械根サザエ」、「イワシ」、「真鯛」、「ヒラメ」、「干物」など豊富な海産物が「大原漁港」などで水揚げ・加工・出荷されています。
ここではそれらの中から、主なものを紹介しましょう。
◆特産品1:”いすみ市の二大海産物”
▼千葉ブランド水産物認定品「外房イセエビ」 (伊勢海美)
いすみ市沖は、寒流 (親潮) と暖流 (黒潮) の交じり合う良好な漁場です。いすみ市沖で育ったイセエビは、身が締まっていて色、艶、大きさどれをとっても天下一品。味も濃厚で市場で高く評価されています。いすみ市は、イセエビの産地として全国有数の漁獲高を誇り、いすみ市沖の器械根 (きかいね=いすみね) で獲れるイセエビは、「伊勢海美」として商標登録されています。
▼千葉ブランド水産物認定品「マダコ」(太東・大原産真蛸)
いすみ市沖で獲れるマダコは、イセエビを餌に育っていると言われ、伝統的なタコつぼ漁によって1匹ずつ捕獲されます。そのため、傷がつかずにいきの良いタコが水揚げされます。このあたりのマダコは、明石のタコと並んで日本の二大タコと称されるほど味が良く、特に12月~1月に漁獲されたマダコは柔らかく甘みがあり、歯ごたえが良く、市場関係者や料理人などプロの方々を中心に高い評価を受けています。
“千葉のさかな” の消費拡大とイメージアップを図るため、優良な水産物を千葉県独自に認定する「千葉ブランド水産物」に、「外房イセエビ」と「太東・大原産真蛸」という品目で認定されています。
◆特産品2:房総三大銘柄の「いすみ米」
“いすみ米は房総三大銘柄に数えられています”
今からおよそ1,500年前、いすみ市がまだ「伊甚 (いじみ)」と呼ばれていた頃、アワビなどの海産物と並んで良質なお米がたくさんとれた伊甚の地は、朝廷の重要な直轄地となっていました。
時は流れ近代、いすみ米の前身である上総国吉米は、東京や関西の市場で高値を付けられ、当時の木原線 (現いすみ鉄道) 「国吉駅」周辺は、毎年秋になると出荷を待つたくさんの米俵が駅舎からあふれ、高々と積まれていたと言います。皇室献上米にも選ばれ、有名デパートでも取り扱いのある「いすみ米」は、現在まで “房総の三大銘柄” に数えられています。
お米づくりに欠かせない土壌にも色々と分類があります。「いすみ米」のおいしさを決めている肥沃でミネラル豊富な粘質土壌は、夷隅統 (いすみとう) と名付けられた特別なものです。夷隅統で作られる「コシヒカリ」は、適度な粘りと強いコシ、口いっぱいに広がる甘みが格別な上質米として知られています。
● 「いすみ米」ひと口メモ2/ “農薬・化学肥料不使用の『いすみっこ』®”
『いすみっこ』®は、千葉のうまい米産地として知られるいすみ市で、農薬や化学肥料を全く使わずに作られている “特別栽培米コシヒカリ” です。いすみ市は、いのちあふれる豊かな環境と食の安全を守るために、田んぼに暮らす様々な生きもの (微生物からカエル、浮草、イトミミズなど) の力を借りた、自然に寄り添ったお米づくりを進めています。『いすみっこ』®は、食の安全度が高く、子どもたちが安心して食べられるお米として、市内すべての小中学校の給食米に採用されています。
● 「いすみ米」ひと口メモ3/ “特別栽培米とは?”
一般に、農薬の使用回数がその地域で慣行的に行われている使用回数の5割以下であり、かつ化学肥料の窒素成分量が5割以下であるお米のことを、「特別栽培米」と言います。『いすみっこ』®は、農薬や化学肥料を全く使用しないで栽培されており、特別栽培米 (化学合成農薬・化学肥料栽培期間中不使用) という規格にあたります。
いすみ市の観光・レジャースポット
★いすみ市を楽しむ目的別ポイント
いすみ市は “温暖な気候” と “肥沃な耕地” に恵まれ、里山・里海両方の自然景観、特産物、独自の歴史風土を楽しめる土地柄です。その楽しみ方は、目的によってさまざまです。ここでは、目的に応じた楽しみ方のポイントをいくつか紹介しましょう。
(1) いすみ市の各種イベントを楽しむ
●大原漁港「港の朝市」
“四季折々の海山の新鮮な幸をたっぷり!
いすみ市の地産品が一堂に揃うマーケット”
大原は、南房総の表玄関。古くから漁業で栄えてきた房総屈指の港町です。だから、ここの魚はとても新鮮です! 本当に美味しく、豊富な旬の魚たちとじかに巡り会えます。そして潮の香りが漂い、海の漁に生きる男たちの活気にも触れ合えるスポットです。
そんな大原漁港の「港の朝市」は、毎月・日曜日に開催されています。その販売催事のコンセプトは、『“いすみ市産”にとことんこだわって、地元産の海産物や農産物、それらを使った加工商品や調理品などが一堂に会する市場を提供すること』だそうです。
たとえば旬の鮮魚、干物、海産物加工品、取れたてで新鮮な産直野菜の買い物を、市民だけでなく市外からの来訪者も楽しめる文字通り “盛況な食の祭典” としてこの数年人気が高まってきています。
当の朝市の会場では、農水産品のほかにも、蛸めしや蛸焼きそば、蛸の串焼き、地酒に手づくりチーズ、うなぎ弁当、アワビ釜飯、手づくりパン、さんが焼きライスバーガー、ラーメン、ジェラート等々、地元のグルメも充実しています!
“買った伊勢エビなどをその場で食べられる
バーベキューコーナーは利用客に大好評!”
この “朝市の見どころ” は、何と言っても “買ったものをすぐその場で調理して味わえるバーベキュー” (BBQ)でしょう。ここでは大人気の「炭焼きバーベキュー台」を無料で貸してもらえます。朝市で買った生きているイセエビを丸ごと網で焼いてその場で食べられる贅沢な “BBQスペース” が朝市会場に隣接されています。
その他には、干物を焼いたり、中にはとうもろこしやサツマイモなどの野菜を焼いて食べる人たちもいたりと、”朝市の楽しさを心から楽しめる雰囲気” がここにはあります。朝市では、漁港の荷捌所 (および駐車場) で販売しているので、港の雰囲気と潮風を浴びながら買い物ができるという気持ち良さも、訪れた買い物客たちから人気を得ている理由でしょう。
なお、この大原漁港「港の朝市」は、2016年 (平成28年) 4月より毎週日曜日、朝の8時から昼の12時まで開催されています (※第1・第3日曜日:大原漁港荷捌所、それ以外の日曜日:大原漁港駐車場で開催)。
[▽所在地:いすみ市大原11574/ TEL:0470-62-1191 (大原漁港「港の朝市」運営委員会)]
●大原はだか祭り
毎年、秋風がたち始める頃になると、大原の人々の心は “はだか祭り” のことでいっぱいになります。「大原はだか祭り」は、地域中が一体となって盛り上がる伝統の秋祭り。例年9月23日・24日の2日間にわたって雄壮に催されます。
この祭りのハイライトは、十数基の神輿 (みこし) が一斉に海へと担ぎこまれ、もみあう “汐ふみ” の行程。祭りの三大みどころの一つで、男たちが勇ましく、雄々しく、神輿を担いで海の中を駆け巡り、投げ上げます。押し寄せる荒波の中で神輿が数社もみあうさまは “勇壮豪快” の一語!
やがて夕闇のせまる頃、花火を合図に地元の大原小学校校庭に集まり、神輿を高く上げて別れを惜しむ「大別れ式」でフィナーレを飾ります。海の男たちの情熱と優しさの両面を十分に感じることのできるこの祭りには、熱心なファンも多く、毎年多くの観衆でにぎわいます。”関東随一” とも言われるはだか祭りの強烈な感動が町も人も包んでいきます [いすみ市公式ページ:「祭り・文化」より抜粋・一部改編]。
▽開催日: 例年9月23日・24日の2日間 (大原漁港ほか)
[▽所在地:いすみ市大原7400-1 (市役所)/ ▽TEL:0470-62-1243 (=オリンピック・観光課直通)]
●万木城跡公園 (まんぎじょうこうえん) と万木城まつり
「万木城跡公園」は、戦国時代に美濃国からきた土岐氏によって万木城が築かれた跡で、当時は房総でも代表的な山城だったといわれます。居館跡と推定され、平坦地や土塁の一部が残されています。城跡から焼米が出土され、困難な籠城戦のあったことがうかがわれます。
戦国時代に攻防の舞台となった万木城の場所は、400年の時を経て、四季折々の花々が咲き乱れる美しい「万木城跡公園」に姿を変えました。この公園は、いすみ鉄道「国吉駅」の北東約4kmの地点にあります。現在は、天守閣をかたどった展望台からは「いすみ川」や「太平洋」が一望できます。季節に応じて桜、ツツジ、アジサイなどが山一面に咲き誇ります。
毎年5月3日には、満開のツツジに合わせて300本の鯉のぼりが雄大に泳ぐ中、「万木城まつり」が開かれ、力士と子供たちの相撲大会を始め、楽しいイベントが行われます。
[▽所在地:いすみ市万木834/ ▽TEL:0470-86-5251 (いすみ環境と文化のさとセンター)]
(2) いすみ市の自然景観を楽しめるスポット
●八幡岬 (はちまんみさき)・丹ヶ浦
「八幡岬」は、いすみ市大原にあります。千葉県外房の太平洋へ東向きに突き出た岬で、北側の眼下には「大原漁港」が見下ろせます。岬は断崖絶壁となっており、南方向には「丹ヶ浦」の断崖が見え絶景です。崖上にはかつて土岐氏一族の小浜城があった「小浜八幡神社」があります。
八幡岬の景観については、つげ義春が絶賛しています。彼は石子順造などを伴い度々来訪。その際、石子も絶賛しています。また大原海水浴場とともに、つげ義春の漫画「海辺の叙景」の舞台ともなったことで知られます。
[▽所在地:いすみ市大原10456−1/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市観光協会)]
“太平洋を一望する景観は雄大”
八幡岬と丹ヶ浦は、古来、文人墨客が多く歴訪し、太平洋を一望する景観の雄大さと古城・小浜城址の歴史 (「房総治乱記」・「関八州古戦録」・「諸国廃城考」)の回顧などから漢詩、漢文、和歌、俳句に書きつがれ、詠みつがれて今日に至っています。”小浜八幡さま*、紅いもンが好きだ 染めてあげましょ 花染めに” の歌詞は「大原はだか祭り」の代表的な祭唄として知られています (*注:小浜八幡さまとは「小浜八幡神社」のこと)。
●アカウミガメ保護活動 (夷隅川河口北岸、和泉浦、日在浦、太東漁港脇砂浜)
いすみ市では、アカウミガメが同市の豊かな自然環境を構成する貴重な野生生物であり、また千葉県が最重要保護生物として選定していることから、2007年 (平成19年) に「ウミガメ保護条例」を制定し、アカウミガメの保護に努めています。
市の海岸 (夷隅川河口北岸、和泉浦、日在浦、太東漁港脇砂浜など) 約5kmにわたり、毎年アカウミガメが5月から9月にかけて上陸・産卵し、砂浜で孵化した子ガメが太平洋に帰るため旅立っていきます。
[▽所在地:いすみ市夷隅川河口左岸・和泉浦・日在浦・太東漁港脇砂浜/ ▽TEL:0470-62-1280 (市役所農林課)]
●太東海浜植物群落 (たいとうかいひんしょくぶつぐんらく:国指定天然記念物)
太東海浜植物群落は、約60kmにおよぶ九十九里浜の南端に位置し、1920年 (大正9年) 7月に “日本で最初の国指定天然記念物” に指定されました。指定された当時は、広大な砂浜と安定した砂丘、砂丘背後にクロマツや常緑広葉樹からなる景観が海浜固有の特殊な生態系とともに評価されました。その後、激しい海食により海岸線が後退したため、指定当時は5haあったという群落は、現在では小規模になりました。
現在、見られる植物は、スカシユリ、トベラ、ヤブニッケイ、マルバグミ、テリハノイバラ、ハマヒルガオ、ハマエンドウ、ハマボウフウ、ラセイタソウ、ハマニガナ、コウボウムギ、ケカモノハシなどがあり、海浜特有の生物相が見られます。
[▽所在地:いすみ市岬町和泉4359ほか/ ▽TEL:0470-62-2811(=いすみ市生涯学習課直通)]
◇「太東海浜植物群落」へのアクセス:JR外房線太東駅下車、徒歩40分。車では、国道128号線 (房総黒潮ライン) を南進。「太東埼灯台入口」信号を海側へ左折。そのまま海岸まで道なりに進むと見られます。
●太東海水浴場
九十九里浜の最南端に位置する太東海水浴場は、国道128号沿いに広がる波の静かな海水浴場です。観光客でにぎわう太東海水浴場は、おだやかな波と長く美しい砂浜が魅力です。サーフィンスポットとしても人気が高く、1年を通して若者がサーフィンを楽しんでいます。
[▽所在地:いすみ市岬町中原谷の平地74番地先/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市オリンピック・観光課直通)]
●大原海水浴場
毎年7月中旬から8月中旬まで開設される大原海水浴場は、トイレ・シャワー・駐車場を完備した利便施設があります。日在浦 (ひありうら) 海岸に面した広々とした砂浜は家族連れを中心に人気があり、シーズン中は海水浴客たちで賑わいを見せています。
[▽所在地:いすみ市新田若山深堀入会地/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市オリンピック・観光課直通)]
●太東埼 (たいとうさき) 灯台 / 太東崎
太東崎は、九十九里浜の最南端に位置します。起伏に富んだ海岸線の延長は4.5kmあり、標高は約10mから最高68.8mまであります。南房総国定公園にも指定されている風光明媚なスポットです。
太東埼 (たいとうさき) 灯台は、白亜塔形(円形)の中型灯台で、高さは15.9m。灯台の光は22海里 (約41Km) まで照らし出すことができます。ここからの景色は太平洋の水平線を一望することができ、まさに絶景!! 「雀島」の眺めも楽しめ、
元旦の日の出スポットとしても有名です。
また、太東漁港から太東埼灯台まで起伏に富んだ海岸線が見られ、太東海水浴場の砂浜とは好対照をなします。ハイキングコースもあり、太平洋を望みながらのハイキングは気分爽快です。週末には地元のNPO法人太東埼燈台クラブによる特産品販売も行われます。また、毎年5月4日には「燈台まつり」を開催しています。
[▽所在地:いすみ市岬町和泉地先/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市観光協会直通)]
●津々ヶ浦
太平洋に洗われる太東崎の砂浜にある磯の小島の周辺が「津々ヶ浦」。景勝地のロケーションとしてはポピュラーな “海と小島” の景色がここでも見られます。この近くの海蝕崖の眺めとあわせて、遊歩道を散策してみるのもおすすめです。
[▽所在地:いすみ市岬町和泉2363-13/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市観光協会直通)]
●和泉浦海岸
夷隅川 (いすみがわ) 河口の南側に南北に長く広がる「和泉浦」は、約1,500mの砂州の海岸で、その海岸線は南隣りの日在浦 (ひありうら) に連なって、その先の大原漁港・八幡岬にまで達しています。断崖が続く太東崎周辺の海岸線とは対照的で、”白砂青松” の景観が美しいスポットです。アカウミガメがこの地の砂浜に産卵することでも知られます。
[▽所在地:いすみ市岬町和泉/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市オリンピック・観光課[いすみ市観光協会]直通)]
●椿公園~椿の里
山々の景観を生かした立体的な園内には2本の吊り橋がかけられ、広大な2.75㌶の園内には、約1,000種類の椿をはじめ、四季折々の草花が約22,000株植えられています。
椿の見ごろは2月下旬から3月下旬。自然に交配が重ねられ、花の形や色は様々です。毎年3月に「椿まつり」が開催されます。(ぜひお越しください。)
[▽所在地:いすみ市深堀539 椿公園/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市オリンピック・観光課[いすみ市観光協会])、0470-64-1111 (いすみ市観光センター)]
●源氏ぼたるの里
いすみ市東地区の山田川周辺は、源氏ぼたるが多く自然生息することから、市ではこの区域を「源氏ぼたるの里」に指定しています。地元と市が一体となって「いすみ市山田源氏ぼたるの里を守る会」を発足させ、河川浄化に取り組んでおり、大切に保護しています。
毎年5月下旬~6月上旬の期間中、源氏ぼたるの里において幻想的な光を楽しむ「源氏ぼたる鑑賞の夕べ」と「源氏ぼたる祭り」が開催されています。
[▽所在地:いすみ市ホタルの里 (山田四・五区地先)/ ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市観光協会)、0470-64-1111 (いすみ市観光センター)]
●トンボの沼
トンボの沼には、多くの水生植物が生え、水場を必要とするいろいろな動物が暮らしています。中でもトンボは千葉県に住むほとんどの種類 (オニヤンマ・アキアカネ・ノシメトンボ・モノサシトンボ・チョウトンボ・ギンヤンマなど) が見られます。1994年 (平成6年) に「トンボの沼」として開設されました (トンボの沼は、昔は農業用水の堰でした。広さは5町歩=15,000㎡もあります)。〔=出典:「まるごとe!ちば」より〕
[▽所在地:いすみ市高谷361/ ▽TEL:0470-62-1243 (=いすみ市オリンピック・観光課[いすみ市観光協会])、0470-64-1111 (いすみ市観光センター)]
(3) いすみ市の歴史と文化に親しめるスポット
①いすみ市に点在する “文学碑” を巡る
“多くの文人たちに愛された風景と人情”
いすみ市大原の美しい風景や素朴な人情は多くの文人たちに愛され、昔から訪れた文人達の足跡が町内に点在しています。
いすみ市旧大原町 (城山地区、深堀地区) には、山本有三の代表作「真実一路」の一路橋のそばに「真実一路碑」と若山放水の歌碑があります。八幡岬には若山牧水の歌碑と林扶美子の文学碑、椿の里に窪田空穂の歌碑があります。
別荘「鴎荘」をこの地に建てた森鴎外をはじめ、若山放水、井伏鱒ニ、前田夕暮、窪田空穂、斉藤茂吉、竹久夢二、鈴木信太郎、宇佐美しん水、林芙美子など文人・墨客の心をとらえた町です。
●山本有三「真実一路の碑」(市指定史跡)
真実一路の碑は、いすみ市の中心街より東へ国道128号沿い塩田川の深堀地区にある「一路橋」の横に建っています。小説家山本有三の名作には大原海岸、塩田川の情景や人情の交流が描かれています。碑文は「海面に夕もやがおりかけて水も空も一ようにネズミ色に染まって行ったが、シオダ川の川かみあたりだけは、入日の反射でぼうっと明るく光っていた」(真実一路より)。真実一路の碑を含む一路橋周辺が1973年(昭和48年)6月15日にいすみ市の史跡に指定されました。
[▽所在地:いすみ市深堀2-10/ ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市産業経済課)]
●若山牧水の歌碑 (八幡岬)
若山牧水の碑は八幡岬に登る途中の高台にあります。いすみ市(旧大原町)中心街より東へ太平洋に突き出た岬で垂直な断崖が海にそそり立つ八幡岬は、岬の形が鳶に似ているところから “鳶岬” とも呼ばれています。雄大な太平洋を眼下に眺められる景観は牧水の心をとらえた素晴らしい眺めです。碑には「八幡岬にありて図らず満月を見る ありがたや今日満つる月と知らざりし この大き月海にのぼれり 牧水」の文が刻まれています。【建立日:1983年=昭和58年=11月30日】
[▽所在地:いすみ市大原地先 (小浜八幡神社下の城山青年館前) / ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市産業経済課)]
●林芙美子の文学碑
平成7年3月に大原町文化財保護協会が建てた碑には、『私は日在浜 (ひありはま) を一直線に歩いていた。十月の外房州の海は黒く盛り上がっていて、海の恐ろしいまでな情熱が私を興奮させてしまった。ただ海と空と砂浜ばかりだ。それもあたりは暮れそめている。この大自然を見ていると、なんと人間の力のちっぽけな事よと思うなり。 「放浪記」より』の一節が記されています。
[▽所在地:いすみ市岬町日在 / ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市産業経済課)]
これらの文学碑は明治から昭和にかけての文学者たちのものですが、江戸時代にまで遡ると、芭蕉の句碑が市内の「清水寺 (きよみずでら)」にあります。
●芭蕉の句碑 (清水寺:市指定文化財)
1826年 (文政9年) 10月15日の芭蕉翁133回の遠忌を記念して行川村 (現いすみ市) の俳人・里丸翁が発起人として清水寺 (きよみずでら) の境内に建立されました。
石碑には「木枯らしに岩吹き尖る杉間哉」の句が刻まれています。これは芭蕉翁が三州 (愛知県) で詠んだ句といわれます (=いすみ市指定文化財)。〔▲出典:清水寺ホームページより〕
ちなみに清水寺 (きよみずでら) は、千葉県いすみ市にある天台宗の寺院。山号は音羽山。本尊は千手観世音菩薩であり、坂東三十三観音霊場第三十二番札所。清水観音 (きよみずかんのん)の通称でも呼ばれています。
▽所在地:いすみ市岬町鴨根1270/ ▽TEL:0470-87-3360 (清水寺直通)
②いすみ市に大きな影響を与えた仏教文化の作品群を鑑賞する
“高僧たちが往来し文化の礎が築かれた「いすみ」”
いすみ市の指定文化財は、2008年 (平成20年) 3月末現在、国の重要文化財4件、県指定20件を含む計225件に及びます。その内容、件数ともに県内屈指を誇ります。とりわけ寺院と仏教信仰に関わる仏像、絵画、法具、建築などに優れたものが少なくありません。
なかでも、「行元寺 (ぎょうがんじ)」と「飯縄寺 (いづなでら)」は、平安時代に天台宗の基礎を築いた高僧、慈覚大師によって創建されたと伝えられる由緒ある古刹です。また、「波の伊八」こと武志伊八郎信由の彫刻 (→次項、行元寺の項を参照)をはじめ多くの文化財を所蔵しています。
●東頭山 行元寺 (とうとうざん ぎょうがんじ) (欄間彫刻、波の伊八彫刻)
“幻の名工・高松又八の日本で唯一の作品が残存”
のどかな里山の風情たっぷりの行元寺。この寺は、849年 (嘉祥2年) に慈覚大師によって草創されました。300余年この地にあって隆盛を極めていましたが、幾度となく戦禍に遭遇して再興。1586年 (天正14年) 6月に現在の場所に移築されました。
徳川四天皇の一人でもある本多忠勝の信仰を集め、徳川家の庇護のもと10万石の処遇を受け、徳川氏と非常に結びつきの深いお寺でもありました。その証拠として、日光東照宮にも無いような大きさの「葵の御紋」の彫刻が残されています。そして幻の名工といわれた「高松又八」の日本で唯一の作品 (欄間彫刻2点) が残っています。
寺には1735年 (享保20年) に建立された入母屋造り二層の山門があり、両脇に仁王像が安置されています。また、本堂には初代「波の伊八」*が作ったとされる迫力の「波に宝珠」の欄間彫刻もあります。(→*次項、「③波の伊八の匠」を参照)
[▽所在地:いすみ市荻原2136 / ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市観光協会)]
●明王山 飯縄寺 (みょうおうさん いづなでら)
“牛若丸と大天狗、そして伊八の最高傑作~波の彫刻”
飯縄寺は別名「天狗」の寺として、防火、海上安全、商売繁盛、無病息災などの祈願寺として多くの信仰を集めていた寺です。ここには縦1m横4mのケヤキの一枚板で作られた、波の伊八の最高傑作と言われている『牛若丸と天狗』があります。牛若丸と大天狗は今にも動き出しそうで、伊八の技術と魂を感じる事のできる作品です。
浮き彫りという独特の作風で表現される伊八の作品には “ダイナミックな波” が多く彫られており、潮の香りと共に押し寄せてきそうなほどの迫力を感じさせます (「牛若丸と天狗」の彫刻の両脇には、「波と飛龍」の彫刻もあります)。
またこの飯縄寺では、別名「天狗の寺」と言われている通り、伊八の彫刻以外にも “天狗の彫刻” が数多く残されています。なんと、仁王門には波乗りをしている天狗が彫られています!
[▽所在地:いすみ市岬町和泉2935-1 (波の伊八)/ ▽TEL:0470-87-3534 (=寺院直通)]
ほかにも、鎌倉時代末から南北朝期にかけて活躍した禅僧で、後醍醐天皇や足利尊氏も帰依した夢窓疎石が庵を結んだ退耕庵があります。現在は太高寺となり、その裏手には疎石が坐禅を組んだという金毛窟が今も残されています。このほか、大原漁港の近くには古くから漁師の信仰を集めてきた大聖寺の不動堂があり、そのすぐそばの照願寺には親鸞の生涯を描いた「紙本著色親鸞聖人絵伝」があり、国の重要文化財となっています。
また、岬町鴨根には坂東三十三観音霊場の三十二番札所である「清水寺 (きよみずでら)」*があり、古くから多くの参拝者でにぎわっています。 (*注:境内には芭蕉の句碑があります→「冒頭の①文学碑」の項参照)
③寺社建築の美術に貢献した “波の伊八” の彫刻作品の匠に触れる
“北斎の作品に影響を与えるほど見事な伊八の「波」の造型”
いすみ市に多くの作品が残る通称 “波の伊八” こと武志家初代の武志伊八郎信由 (たけし いはちろう のぶよし/ 1751年~1824年) は、江戸時代の彫物師です。
◆行元寺の伊八作『波と宝珠』の力感ある表現手法
なかでもいすみ市の「行元寺」の欄間彫刻『波と宝珠』 (▲上掲の写真左参照) の作品は注目され、その作風から「波を彫らせては天下一」と言わしめ、以後は “波の伊八” の異名で知られるようになりました。
その作品は同世代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三十六景」の代表作の1つ、「神奈川沖浪裏」 (かながわおきなみうら) などの画風に強く影響を与えたといわれています (▲上掲の写真右参照)。
この『波と宝珠』には、写実的・陰影法・遠近法といった近代的手法が駆使されており、波がまさに崩れんとするその一瞬を見事に表現しています。初代伊八は、いすみ市の太東崎近くの海岸から馬で海に入り、波を横から見て波の形を研究したという逸話も残されています。
伊八は、「関東に行ったら波を彫るな」と、関西の彫物師が江戸に渡ろうとした際に言われたと伝えられるほどの名工でした。その名のとおり、ほとんどの彫刻作品には大小にかかわらず「波」が彫られています。
“寺社建築の美術価値を高めた伊八の彫刻作品”
現在に残る伊八の彫刻作品は、いすみ市の各寺社に所蔵されています。冒頭の『波に宝珠』は「行元寺」の欄間彫刻として公開されているものです。
◆飯縄寺の『牛若丸と天狗』『波と飛龍』
いすみ市の「飯縄寺」には、伊八の “最高傑作” と注目を集める『牛若丸と天狗』の彫刻があります。本堂内の欄間中央に、縦1m・横4mのケヤキの一枚板で作られたその作品は、牛若丸と大天狗が今にも動き出しそうで、伊八の技術と魂を感じることができる力強い作品です。
飯縄寺にはほかに、 “浮き彫り” という独特の作風で表現される伊八の作品の “ダイナミックな波” を表現した作品も残されています。本堂の欄間の『牛若丸と天狗』の両脇には、『波と飛龍』の彫刻が並んでいます。欄間左側の作品の波は女性的なやさしい感じが漂い、右側の作品では “男性的な波” が力強く表現されています。左右どちらの作品も、潮の香りと共に押し寄せてきそうなほどの迫力を感じさせます。飯縄寺にはこのほか、本堂向拝 (こうはい) に伊八の『龍』が彫られており、これらの彫刻は伊八45歳の時の作品とされます。さらには別名「天狗の寺」とも呼ばれる飯縄寺の仁王門には波乗りをしている天狗が彫られています。
◆伊八の心意気みなぎる長福寺の欄間彫刻3点
いすみ市「長福寺」にも伊八の彫刻作品が残されています。同寺の伊八作品は本堂欄間にある3点の彫刻で、中央に『波に龍』、その左右に『雲に麒麟』の2点が欄間を飾っています。これらの3点は、1789年 (天明9年/寛政元年)、伊八が38歳の時の作品といわれます。
『海面に姿を現し、前足で宝珠を掴み、昇天の機を窺う龍の尾は板面を大きく飛び出し、師匠から独立した伊八の心意気そのもののように見えます。右の麒麟は前を向き、左の麒麟は後ろを振り返り、どちらも龍の昇天を心待ちにしているような力みなぎる作品です。また、色彩も明瞭な美しい彫刻です。』(同寺HPより)
江戸時代後期に彫物師として活躍した通称「波の伊八」こと武志家初代の武志伊八郎信由 (たけしいはちろう のぶよし) は、1751年 (宝暦元年) に現在の鴨川市打墨 (うつつみ) で生まれました。伊八は、子どもの頃から手先が器用だったことから、彫刻師である嶋村貞亮に弟子入りをし、腕を磨きました。1824年 (文政7年) に73歳で亡くなるまで、安房・上総をはじめ、江戸や相模など、南関東を中心に50点余りの彫刻作品を残しています。初代伊八のあと、「伊八」を名乗る彫物師が江戸中期から5代にわたり活躍しました。
④いすみ市に残る故事・伝説に思いを馳せる
(1) 岩船地蔵尊にゆかりの伝説を偲ぶ
“今に残る七十五座漂着の地の伝説”
いすみ市の旧大原町「岩船海岸」には、「七十五座漂着の地」という伝説があります。今から約740年ほど前に時の中納言・藤原兼貞一行が太平洋上を航行中に台風による大しけに合い、漂流後にこの地に上陸したとされる話です。その時の人々が現在は「七十五座の神々」として祭られています。この伝説は、旧大原町布施大寺の三上家に伝わる古文書や、「岩船地蔵尊」の縁起におおよそ次のように伝えられています。
『いまからおよそ740年ほど前、後宇多院の時代、1275年 (建治元年) 9月、中納言の藤原兼貞が、3隻の船で大海を航行中、たまたま台風に出合った。はげしい波風に翻弄されたが不思議なことに、竜宮浄土に漂着した。やがて竜門を出て、再び海上に浮かび、数十日後に「岩船海岸」に流れ着いた。このとき12人は船中で死んだが、残りの63人は地元漁師に助けられ、粥などの食べ物で手厚くもてなされた。
波風が静まると、奇瑞 (めでたいふしぎなしるし) が現れて、人びとの乗ってきた船はたちまち消え、その姿が大きな岩に変わった。村びとは、こうした不思議な出来事により、流れ着いた人びとを神に祭るようになった。その後、海岸に流れついた人びとは、布施の大寺地区に移り、ここに安住したという。
ところで、この七十五座の神々の流れついたところは、いまの釣師、三十根の浜であるといい、船が岩に変わってできたとされる奇岩を人びとは「御船岩」と呼んでいる。また、「岩船地蔵尊」の本尊も、このとき、これらの神々と漂着し、この海岸に同じときに出現したと伝えられている。(以下略)』 (※出典:『大原町史』より)
●七十五座漂着の地にゆかりの岩船地蔵尊
「岩船地蔵尊」は、太平洋に突き出た岩場に建っており、室町期の作と伝えられる御本尊の「木造地蔵菩薩坐像」は、「七十五座漂着の地」の伝説にちなみ、海上安全、五穀豊穣などの守り本尊として、漁業者をはじめ近郷の人々の信仰を集めています。
この本尊は、1972年 (昭和47年) 7月20日、いすみ市の文化財に指定されました。また、水産庁主催の「未来に残したい漁業 漁村の歴史文化財産百選」にも認定されました。この「百選」には全国から350件、千葉県からは、21件の応募があったそうです。
[▽所在地:いすみ市岩船2082 (岩船区南台) / ▽TEL: 0470-62-1243 (オリンピック・観光課)]
(2) 源頼朝の伝説を味わう
●源頼朝伝説1 「名熊の二本杉」
いすみ市・旧大原町布施の名熊に、市指定の天然記念物で、高さ12メートルほどの二本杉の名木があります。「頼朝の箸杉 (はしすぎ)」とよばれ、源頼朝がこの地で食事をとり、地にさした箸が成長したものと伝えられています (※「大原町史」より)。
“いすみ市のパワースッポトのひとつ「名熊の二本杉」”
二本杉のあるこの場所は、市内布施地区の名熊 (なぐま) という地で、県道夷隅御宿線から少し入った落合川 (夷隅川の支流) のそばにあります。二本杉と呼ばれるとおり、木のもとは2本になっています。
この二本杉は、「頼朝の箸杉」と呼ばれますが、その謂れは、文化財指定の説明板によれば『源頼朝がこの地で食事をとり、地面にさした箸が成長したもの‥‥』とあります。何ともロマンに満ちた伝承に思わず頬がゆるみます (*いすみ市観光センターポータルサイトより抜粋)。
ちなみに、頼朝伝説で有名な「筆掛けの槇 (ふでかけのまき)」のある長福寺は、ここから2kmほど北東に行ったところにあります (→源頼朝伝説3を参照)。
[▽所在地:いすみ市下布施4482 / ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市オリンピック・観光課)]
●源頼朝伝説2 「兜松 (かぶとまつ)」
この松は、いすみ市・岬町江場土にありました。源頼朝がこの地に来り、松の木の枝に兜を掛けて休憩したという言い伝えからきています。以来、この松を「兜松」と呼んでいましたが、現在は枯れてありません。ただし、この地にその後になって松が植えられたそうです (※「岬町史」より)。また、地元の有志による記念碑が建っており、記念碑には「兜」ではなく「甲」の文字が刻まれています。
[▽所在地:いすみ市岬町江場土 / ▽TEL:0470-62-1243 (いすみ市オリンピック・観光課)]
●源頼朝伝説3 「筆掛けの槇 (ふでかけのまき)」
いすみ市・旧大原町下布施の長福寺 (山号=硯山) に、”県指定天然記念物” で際立って立派な槇があります。この槇は「筆掛けの槇」(樹高12m、目通幹囲4.8m、推定樹齢1350年) と呼ばれ、昔、源頼朝がこの寺で硯に墨をすらせていたとき、筆をこの槇の枝にかけたといわれています。また、この寺の近くにある高塚山は、昔、山の麓が牧場であり、ここで飼育した馬を広常が頼朝に献上し、その名馬が「磨墨」と名づけられたとも伝えられています。*なお、頼朝伝説の「名熊の二本杉」はこの場所からすぐ近くにあります (※「大原町史」より)。
[▽所在地:いすみ市下布施757 (長福寺) / TEL:0470-62-2811 (いすみ市社会教育課)、0470-66-1736 (長福寺直通)]
平家により鎌倉に追われた源頼朝は、平家追討の援軍を求めて房総にやって来た折、当寺に立ち寄ったと言われています。時の住職との話の中で、未だ山号の無いことを知った頼朝は「山号を授けるので書くものを持て」とおっしゃいました。住職の差し出した硯のあまりの見事さに「硯山」とすることになりました。そのとき以来この寺は「硯山無量壽院長福寺」(すずりさん むりょうじゅいん ちょうふくじ) が正式名称になりました。
また、書状を認めていた折、近くの山で馬のいななきが聞こえ、平家の追手かも知れないと考えた頼朝は、手にしていた筆を境内の槙の枝に掛け(これで、筆掛けの槇といわれるようになりました)見てくるように家来に命令。しかし家来の連れて来た馬は、全身真っ黒な立派な馬でした。すっかり気に入った頼朝はその馬に「磨墨」という名を付け、可愛がったといいます。都内某寺に「磨墨の墓」があり、墓誌に「布施の郡より得た馬」と書かれているそうです。仁王門をくぐると左脇に「筆掛けの槇」の雄大な姿を見ることができます (長福寺ホームページより)。
●源頼朝伝説4 「大杉」
この大杉は、現在のいすみ市岬町和泉にあります。「兜松」(注→「頼朝伝説2」を参照) で休憩した源頼朝一行は、和泉地区に入り昼食をとりました。しかし箸 (はし) の持ち合わせがないので杉の小枝を折って使い、その枝を地面に挿しました。するとやがて根がついて大木になったという言い伝えがあります。
このときの大杉は今は枯れてありませんが、土地の有志がこの地に新たな杉を植え替え、杉の木の前に源頼朝を偲び記念の石碑を建て、後世に伝えたと言われます。
ちなみに現在でも、その杉のあったとされる場所には「大杉碑」と刻まれた石碑が建っています (▲写真右参照)。それには、「この場所に経年は不明ながら、三抱えほどある大きな杉の木が立ち、その枝を頼朝が箸に使った」ことなど、里人が伝えていたことが書かれています。石碑そのものは、1885年 (明治18年) 10月に建てられたものだそうです。
[▽所在地:いすみ市岬町和泉地先 / TEL:0470-62-1243 (オリンピック・観光課)]
◆いすみ市へのアクセス
いすみ市は、東京都心から75km圏内、県都千葉市からは45km圏内の位置にあり、「JR外房線」で「大原駅」から特急列車「わかしお」利用で蘇我駅までが40分、県都千葉へは各駅停車で約65分、そして首都東京へは約70分の距離にあります。また、東京湾アクアライン経由で横浜市まで2時間弱の時間距離にあります。
◎電車利用の場合:
▼JR路線
●JR外房線 (特急わかしお) − JR大原駅下車 [東京発:72分]
●JR総武線快速 − 外房線 (千葉駅) − 大原駅下車 [東京発:114分]
……………………
▼いすみ鉄道路線
●いすみ線 (大原駅 – 西大原駅 – 上総東駅 – 新田野駅 – 国吉駅 – 上総中川駅)
◎車利用の場合:
▼京葉道路 → 東金有料道路 (東金IC) → 東金九十九里有料道路 → 九十九里有料道路 * (工事中=平成29年12月末まで通行止め) → 国道128号 (外房黒潮ライン)
*(注) 九十九里有料道路は、海岸津波対策事業においてカサ上げ工事を進めており、平成29年12月末までは通行止めとなっています。「首都圏中央連絡自動車道」をご利用ください。
▼京葉道路 (千葉・蘇我IC) → 外房有料道路 → 県道21号線 (茂原市経由)
▼東京湾アクアライン → 首都圏中央連絡自動車道 (市原鶴舞IC) → 国道297号 (大多喜町経由)
◎路線バス利用の場合
▼いすみ市民バス (小湊鐵道・HMC東京に委託)
●いすみシャトルバス (旧夷隅町から運行を継承)
●市内循環線
(注) 以前は小湊鐵道・千葉中央バス・都自動車の路線が市内域を運行していましたが、現在では純然たる民営の路線バスは市内では運行されていません。
■ 夷隅郡大多喜町 (いすみぐんおおたきまち) の立地環境
◎大多喜町の地理特性
夷隅郡 (いすみぐん) 大多喜町 (おおたきまち) は、都心よりほど近い千葉県の房総半島南東部に位置する外房に近い南総の町です。南北に長い形状をした同町は、市部を除き千葉県の町村では最も広大な面積(129.87 km²) を有しています。また、地理特性として、先にみた南房総地区の3市1町と、この外房地区の2市2町の中で唯一、海に面していない町です (→冒頭の「房総のリゾートエリアマップ」と、「◇外房エリアの気候・風土」の項の「千葉県天気予報発表区域図」を参照) 。
▽人口:9,483人 (推計人口、2017年5月1日現在)/ ▽面積:129.87 km²/ ▽東西:約12km/ ▽南北:約19km/ ▽隣接自治体:市原市、君津市、勝浦市、鴨川市、いすみ市、長生郡睦沢町、長生郡長南町
◎大多喜町の沿革
大多喜町のキャッチフレーズは “城と渓谷の町”。そこに示された通り、町内には大多喜城があり、歴史ある城下町としての町並みが今でも残り、”房総の小江戸” とも呼ばれる風情のある町です。
大多喜城は、徳川四天王のひとり、本多忠勝を初代城主とする近世建築による城であり、その本丸跡には、城郭様式で建設された「県立中央博物館大多喜城分館」があり、”房総の城と城下町” をテーマに、刀や鎧、衣装等を展示しています。秋には毎年、県内外の多彩な資料を集めた特別展を開催しています。
大多喜町の自然環境と気候
◎大多喜町の自然環境
大多喜町は森林が面積の約70%を占めます。南西部は山がちで北東に向かうに従い標高は低くなっています。主な河川である「夷隅川」は北東に蛇行しながら流れ、「養老川」は西部を北に流れます。”水と緑に囲まれた豊かな自然” が織りなす四季折々の景観を楽しめる町です。
…………………………………………
●大多喜町の主な河川:夷隅川、養老川、西畑川、平沢川
●主な山:石尊山、御嶽山、野々塚、殿中山、伊藤大山、浅間山、高塚山、羽黒山、大塚山、法塔山
●ダム:平沢ダム、大多喜ダム、荒木根ダム
◎大多喜町の気候
大多喜町の年間平均気温は15℃前後ですが、冬期は最低気温が氷点下に達する日もあります。南部外房地区の周辺沿岸部が雨の時に、唯一海に面していない内陸部の同町では雪になることもあります。
また、同町の年間平均雨量は約2,237mm程度で、銚子地方気象台の観測ガイドによると、南房総エリアの周辺市町の中でも最高雨量を記録しています(→「房総半島の気温と降水量」の項を参照)。
大多喜町の観光・レジャースポット
“大多喜町の2つの楽しみ方”
大多喜町の観光レジャースポットは、大きく分けると2つの楽しみ方があります。一つ目は、町の名所・旧跡などの文化財を巡りながら、”人が造り出した文化的資産” を鑑賞したり、町に住む人々が歴史の営みを大切にし、どのように町への愛着を感じて暮らしているのかを知る楽しみ方です。
もう一つは、町全体の景観を形づくる自然の姿と営みに肌で触れ、開放感とともに美しさと心地よさを楽しむ方法です。この「観光・レジャースポット」では両方の楽しみ方に応じたスポットを紹介しましょう。
◎大多喜町の歴史資産と町の風情を楽しむ
大多喜町では、町の歴史的資産と人々の暮らしの営みを身近に知ってもらうために “房総の城と城下町” というキャッチフレーズを掲げています。
その象徴的存在が「大多喜城」でしょう。ただし城の形をしていますが、この建造物は、「県立中央博物館大多喜城分館」として運営されています。千葉県指定史跡の「上総 (かずさ) 大多喜城本丸跡」に城郭様式で建設された “天守閣づくりの特色ある歴史博物館” で、”房総の城と城下町” をテーマに、刀や鎧、衣装等を展示しています。
いすみ鉄道大多喜駅前には、町の観光拠点となる「観光センター」(別称:観光本陣) があります。”房総の城と城下町” のキャッチフレーズが物語るように、白壁・三角屋根で昔ながらの造りを思わせる木造建築が駅前の人目を引きます。
観光センターの時代色が映し出すように、歴史のある大多喜町は、その町並みを表す “房総の小江戸大多喜” という愛称もつけられています。特に城下町の面影を残す久保、桜台、新丁地区には、江戸時代から変わらぬたたずまいを残す建物が点在し、昔を偲ばせています。
たとえば、国の重要文化財で、江戸時代の嘉永2年 (1849年) に建てられた大商家の「渡辺家住宅」や、国の有形文化財で、江戸時代から続く造り酒屋の「豊乃鶴 (ゆたかのつる) 酒造」の建物などが今も残されています。
大多喜町では、こうした昔ながらの歴史ある建物に数多く触れることができ、「人力車」による町内の名所旧跡巡りも町の楽しみどころの一つです。
こうした名所旧跡巡りと併せ、昔ながらの町並みの一角には、動く鉄道模型と鉄道グッズ約1,000点を常設した「房総中央鉄道館」もあり、お楽しみのスポットです。
昭和初期から運行した国鉄木原線や外房線などの行き先方向板や、動く鉄道模型などのほか、養老渓谷から都市までの風景がジオラマ (立体模型) で再現され、約1kmの模型の線路が敷かれている県内最大級の鉄道館であり、鉄道ファンならずとも一見の価値があります。
◎大多喜町の自然を楽しめるスポット
大多喜町のもう一つの楽しみは、自然との触れ合いです。同町では森林面積が70%を占め、自然と町との関係を “城と渓谷の町大多喜” というキャッチフレーズで謳っています。その自然景観の “代表格” が「養老渓谷」でしょう。
養老渓谷は、大多喜町から市原市を流れる「養老川」 (水源地:大多喜町・麻綿原高原) によって形成された渓谷です。「養老渓谷奥清澄 (おくきよすみ) 県立自然公園」の中心をなし、四季折々の自然を観賞することができる場所として親しまれています。
春はツツジ、フジ、秋には雑木の紅葉が美しく、特に養老渓谷の紅葉は、例年11月中旬頃からが見頃となり、その景観は、言葉を失うほどに素晴らしく、見る者を圧倒するほど鮮やかです。渓谷の近くには温泉やハイキングも楽しめるスポットが整備されています。
この渓谷の大多喜町と市原市の境界付近に「弘文洞跡」(こうぶんどうあと) という隧道の跡 (洞門の天部が崩れてできた絶壁) があります。この絶壁は、140年前に農地開拓の川廻しのために作られたトンネル跡で、以前は隧道の上部がつながって道が通っていました。しかし1979年 (昭和54年) 5月24日の未明に突如上部が崩落し、現在の切り立った岸壁状に姿を変えました (▲写真下・右=注:枠内は隧道の上部がつながって道が通っていた当時のようす=大多喜町公式ホームページ「観光情報」の「観光スポット」ページに掲載)。この洞門跡は現在でも養老渓谷を代表する景勝地になっています。
そして養老川の上流域には、房総随一とも言われる「粟又の滝」(あわまたのたき=別名:養老の滝) があります。長さ100メートルにわたって滑り台のようなゆるやかな岩肌を流れ落ちるこの滝 (落差30メートル) は、幻想的な美しさで人々を魅了します。“千葉県随一の名瀑布” であり、周辺の散策路を含め観光名所となっています。(※いすみ鉄道終点「上総中野駅」から「粟又の滝」まで探勝バスが運行)
大多喜町の南西部にある「麻綿原高原」(まめんばらこうげん) も見どころの一つです。南房総国定公園内にある麻綿原の日本アジサイは、“天拝園” と名付けられた「妙法生寺」境内を中心に、約2万株のアジサイが咲き誇り、例年7月上旬から下旬が見頃で、平地よりだいぶ遅く開花します。高原一帯にアジサイが咲き乱れる様はまさに壮観です。
大多喜町では、町内を走る「いすみ鉄道」の沿線を、菜の花でいっぱいにしようと、ボランティアの方達により毎年10月に沿線に種をまきます。毎年3月上旬から4月上旬には、鉄道全線26.8kmのうち約13kmが黄色いじゅうたんを敷いたような “菜の花路線” (いすみ鉄道フラワールート) へと変わります。どこかのどかで、なつかしい田園の中を走るローカル線の沿線風景に心和まされることでしょう。
大多喜町の交通アクセス
◎鉄道利用の場合:
▽いすみ鉄道いすみ線 (中心となる駅:大多喜駅)
上総中野駅 (いすみ線西側終着駅:さらに北西を走る小湊鉄道線と連結) – 西畑駅 – 総元駅 – 久我原駅 – 東総元駅 – 小谷松駅 – 大多喜駅 – 城見ヶ丘駅 (※町内8駅)
▽小湊鉄道線
上総中野駅
◎車利用の場合:
▽一般国道
国道297号/ 国道465号
▽主要地方道
千葉県道27号茂原大多喜線/ 千葉県道32号大多喜君津線/ 千葉県道81号市原天津小湊線
▽一般県道
千葉県道150号大多喜一宮線/ 葉県道172号大多喜里見線/ 千葉県道177号勝浦上野大多喜線/ 千葉県道178号小田代勝浦線/ 千葉県道231号大多喜停車場線
◎路線バス利用の場合:
▽高速バス
●東京ルート (小湊鐵道・鴨川日東バス・京成バス)
勝浦~たけゆらの里~大多喜⇔市原鶴舞BT⇔東京駅八重洲口前~浜松町BT(東京湾アクアライン経由)※BT:バスターミナル
*注) 市原鶴舞BTで羽田空港・横浜行高速バスに乗り換えができます。
●品川ルート (小湊鐵道・京浜急行バス)
大多喜~羽田空港~品川駅
*注) 時間帯により、羽田空港へ立ち寄らない便もあります。
▽一般路線バス
小湊鉄道
房総半島エリアのリゾート環境ガイド
★房総半島のリゾートエリアとしての魅力と特性
温暖な気候風土の中で海と花の自然と新鮮な食材を満喫できるリゾート適地
外房エリアは太平洋の白波耀く南北100キロ余り続く長大な海岸線が魅力
房総半島の外房海岸線沿いは、大海原の太平洋に面しています。その黒潮の影響で、温暖な気候に恵まれ、格好のリゾート地ともなっています。
1年を通じて穏やかな気候に恵まれ、海と花の自然を満喫できます。山間部に立地するリゾート地が “避暑” を目的とするケースが多いのとは対照的に、この外房エリアでは “避寒” を意図したリゾートライフを過ごせるエリアが多く点在します。こうした理由から、この外房一帯のリゾート好適地に物件を求めるニーズも年々ふえてきています。
その房総の自然環境といえば やはり “海のリゾート地” と言えるでしょう。青い海と菜の花のコントラストが美しい「房総フラワーライン」など、ドライブに最適なコースが充実しています。
食環境も多彩です。海の幸では、南房総市の捕鯨で知られる和田漁港周辺に鯨料理を提供する店が数多くあり、「くじら料理」の美味が味わえます。なかでも鯨肉を塩水に浸け天日干しにした「クジラのタレ」は絶品!当地を訪れたら、ぜひ一度味わってみたいものです。
同じ外房の勝浦市や夷隅郡御宿町では、海の産品による朝市が開かれており、カツオ・伊勢海老を安価で味わうことができ、”グルメ好き” には魅力的なエリアとなっています。
海の幸だけでなく、内陸の高原部に入れば、山の幸や新鮮な野菜が豊富にあります。花狩りや果物狩りができる体験施設も各所に点在。春はポピー、夏はぶどう、秋はみかん・コスモス、冬はいちごと、四季折々の味を楽しめるのも特色です。たとえば富浦町の「房州びわ」のさっぱりとした味わいは格別です。
リゾートといえば、スポーツ・レジャーを楽しみたい方に最適なスポットも事欠きません。太平洋に面した海岸線では、マリンスポーツやフィッシングを楽しめるスポットが点在。内陸部では、養老渓谷やゴルフ場などのリゾートスポットが満載のエリアでもあります。
「鴨川シーワールド」「マザー牧場」などのテーマパークも多数あり、子供から大人まで楽しめるレジャーエリアとして親しまれています。
★房総で人気のおすすめ別荘地
【鴨川エリア】
交通の便がよく、総合医療で有名な亀田総合病院が住民たちの健康維持に大きな役割を担っています。また、ショッピング施設などの生活利便性にも優れたエリアであるため、定住をご希望の方には最適なエリアと言えます。美しい海の眺望を楽しめるリゾートマンションも多く、良質な居住環境が提供されています。
【御宿エリア】
駅に近く海が見えるマンション、緑に囲まれた一戸建て別荘など、物件が豊富です。近隣にはスーパーやレストランが充実し、利便性の良さから、永住希望者に人気の別荘地として注目が高まっています。
【勝浦エリア】
太平洋に面した地域でリゾートに最適なエリアです。フィッシング・ゴルフ・朝市などが楽しめます。また、ホテル・ゴルフ場を併設した複合リゾート施設 (マンション・戸建て) から戸建てまで、別荘の種類も充実したエリアとなっています。
【いすみ・大多喜エリア】
いすみ市と、西側の内陸部にある夷隅郡 (いすみぐん) 大多喜町 (おおたきまち) を走る「いすみ鉄道」 (大原駅~上総中野駅/14駅=全長26.8キロメートル:上総中野駅で小湊鉄道と接続) は、歴史ある城下町と、自然豊かな町並みの中を走り、その沿線は観光名所の一つとなっています。
春には沿線一面に菜の花が咲き、”黄色いじゅうたん” の上を走る “房総の早春” を満喫できます。こうした落ち着きのある環境も手伝い、近年ではこの地にリゾート目的の戸建て別荘物件を取得するケースもふえています。